インテリの大河ドラマ嫌い

 『大河ドラマ入門』の寄贈者リストを作っていて、いつもは本を送っている人をばさばさ削ることになった。つまり興味がないだろうということで、要するにインテリは大河ドラマを観ないのであり、私は大学院へ入ってから、大河ドラマが好きだという学者に会った記憶がない。観ている人自体、記憶にない。司馬遼太郎の解説など書いている芳賀徹平川祐弘といった人たちの口からも、聞いた覚えがない。だから大河ドラマの話をする相手は、母か弟くらいだった。田中貴子は最初に書いた古典入門『日本古典への招待』で、ドラマ化のキャスティングを考える、などと書いていたが、大河ドラマを観ている様子がない。
 それに対して、大河ドラマの視聴率は極めて高い。私はいわゆる「時代劇」は嫌いなのだが、大河ドラマは歴史ドラマだから観る。もちろん中にはひどいのもあるが、いい時もある。あるいは私は野球やボクシングに興味がないが、インテリでもこういうのを観る人はけっこういる。
 たとえば日本史学者とか、歴史に詳しい人が「あんないい加減なもの観られるか」というので嫌うのはいいのだが、碌に歴史の知識もないような若者で、せめて大河ドラマくらい観てくれ、というのが多いのも厳然たる事実である。
http://d.hatena.ne.jp/mari777/20100102
 こういう人は神様に見える。
 現代日本のインテリの大河ドラマ蔑視には、全共闘世代とニューアカ世代と二つの流れがある。大岡昇平井上靖をバカにしたのが典型的な、民衆史観ゆえの「英雄もの」嫌いがあり、「ポストモダニスト」派の、歴史は終わった派とである。前者の流れには、十五年戦争だけやたら詳しい人がおり、後者には、フランス第二帝政にだけやたら詳しい人がいて、かつ哲学や社会学といった非歴史的なものを好む。
 しかし私は私で、みなもと太郎の歴史もののようにデフォルメされているとダメ、『カムイ伝』のような民衆ものもダメなのだが、インテリはこういうのは好きなのである。

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石川弘義が年末に死んでいた。この人はよく知らないが、2001年に『マスタベーションの歴史』という本を出して(マスター、ではない)、最近出た研究が分からないと言い、書名はあげず、フーコーなんか使って「オナニーの言説空間」とか言われると、私は大勢の男が大きな部屋でみなでオナニーしている空間を想像してしまう、とか書いていて、これは赤川学セクシュアリティの歴史社会学』のことなんだが、何を言うとるんじゃろうと新聞書評で痛罵したのだが、これが石川の最後の単著になった。
 それはいいのだが、これを山形浩生も書評して、赤川著だと気づかずに、金塚貞文のことかなどと書いていたから、けっこう間抜けな奴だなと思ったものだ。
http://cruel.org/bk1column.html
(第13回)
 今なお誤った情報を記している。訂正しろよ山形。