蓮實先生について

 『私小説のすすめ』のアマゾンのレビューでモワノンプリュ君が、私が蓮實重彦を快く思っているはずはないが、と書いている。いえ、快く思っていますよ。だって煙草の吸殻をわざわざ千代田区まで捨てに行く人ですから。
 だいたい蓮實先生には『私小説を読む』って著書もある。マクシム=デュ=カンの伝記だってある。テマティック批評といったって、蓮實先生の『大江健三郎論』とか、ものすごく面白いのであって、小森陽一のような政治活動をしたあげくバカの一つ覚えみたいに漱石論を書くわけじゃないし、石原千秋のように、本気でテクスト論を擁護したあげくにつまらないことをぐじゃぐじゃ言うわけでもない。村上春樹だって褒めていない。いったいどうして、蓮實先生を快く思わない必要があるのだろう。
 テクスト論だろうが何だろうが、面白ければよいわけで、仮に間違っていたらまずいが、特段蓮實先生が何かを間違えたわけではない。何かこう図式的に当てはめて考えているようなのだが、そういうものじゃないでしょう。中村光夫だって私は嫌いなわけじゃなくて、好きなのである。
 確かに蓮實先生の小説なるものは、とても私には読めない。だがそんなことは大したことではないのだ。蓮實先生が褒める映画を観て失望したことは数多いし、映画の好みも明らかに違うのだが、なんか雲の上の人のようでそんなことも気にならない。柄谷がダメになったらさっさと離れるし、笙野頼子が気が狂ったら「書けない理由」を書くし、いいことばかりなのである。だいたい『反=日本語論』みたいな面白い本を、松浦寿輝水村美苗は書いていないと思う。 

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http://d.hatena.ne.jp/toronei/20090920/H
それなら物を言わなければいいだけのことだ。
 (小谷野敦