志茂田景樹のリハビリ

 中川昭一、自殺なんだろうなあ。しかも、多くの人が予想した事態。遺伝だからな。

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志茂田景樹の軌跡を一度調べようと思っていた。志茂田は中大卒後、各種職業を転々とし、創価学会員となり、文章が書けるところから、『人間革命』の執筆要員にされかかり、学会を抜け、36歳の76年には学会批判の文章を書いている。翌年、初めての単行本を出し、80年、動物ものの『黄色い牙』で直木賞を受賞した。だがその後は、推理もの、エロティックもの、バイオレンスもの、イフものと夥しい量の小説を書いた。多い年は36点くらい書いている。350冊以上は書いたはずで、その間、テレビに奇抜な服装で出ては奇抜な発言をし、1993年には立川志らくが「死神」の呪文で「あじゃらかもくれん志茂田景樹あなたは本当に直木賞作家ですか」とやったくらいだった。
 その一方で志茂田は「火宅の人」であり、家をあけて妻を見捨て、遊び暮らした。妻の下田光子はのちに『わたしは絶対別れない』を書いてその頃のことを回想しているが、妻はそんな志茂田から離れようとせず、96年頃、遂に志茂田を取り戻したらしい。その年を境に、志茂田の「濫作」は止まる。以後は、自分のレーベル「キバ・ブックス」を作り、『黄色い牙』のほか、童話をたくさん出し、「子供たちへの読み聞かせ」の会を妻とともに作り、濫作時代のもので、文庫に入っていないものもあったが、それもほとんど入れなくなった。志茂田の執筆量はがたんと減り、時おり、昔ながらのものを書いたりするだけになった。濫作時代の貯金があるにしても、文庫化まで拒否しなくても良かろうに、という気もする。
 若いころ仮面うつ病になったというが、やはり精神のどこかが不安定な人なのだろう。2008年、久しぶりの本格小説『蒼翼の獅子たち』という、専修大学の創設者たちを描いたものを出して、専修大では話題になっていたようだが、まだちゃんとした小説の形はなしていなかったようだ。リハビリ中、というところか。

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MARCH、日東駒専大東亜帝国とあって、抜けているのがある。獨協も抜けているが、学習院が抜けているのが気になる。あとICUと上智も抜けているから、この三校を合わせて「GIジョー」と呼んだらどうだろう。
(小谷野敦