『白夜』の伊藤整

 渡辺淳一の自伝小説『白夜』は、最後のほうになって小説を書き始めると、何人かの作家・文学者が仮名で出てくる。渡辺自身が「高村伸夫」だが、これは例外らしく、ほかはみな、姓を一字だけ変えたものになっている。
 だいたい推測がつくが、
・中島‐生島治郎
・大友‐大城立裕
・中原‐立原正秋
・美馬‐有馬頼義
・立木‐五木寛之
・高沢‐笹沢左保
・砂川‐市川こん?
・船村‐船山馨
・中橋‐舟橋聖一
・伊部‐伊藤整
・坂井(K社編集者)−坂本一亀
・川津(K社編集者)−川西政明

 伊藤整は、北海道出身だから渡辺と同じである。渡辺が、芥川賞一回、直木賞二回候補になったあと、『小説宝石』から小説の依頼を受け、中間小説誌に書いていいものか、と悩む。『小説新潮』からも来るが、これはいいようで、やはり『宝石』となると格が通俗ものに近くなる。仲間はみな反対する。迷った渡辺は、伊藤整に相談に行く。伊藤は多忙で、渡辺に対してはそっけなく、十分だけと言われる。しかし話を聞いた伊藤は、「君は、あの雑誌の新聞広告が一文字いくらすると思っているか」と言い、そんな選り好みをしている場合ではない、書きなさい、書いてとにかく名を売りなさい、と言う。
 さすが伊藤整だ、という場面である。私は、「伸夫」が迷っている場面を見て、何と贅沢な奴だ、と思った。ただ現代と違って、その当時は、中間小説誌に書くことに純文学を目指す者の抵抗は大きかった。
 栗原さんが、海猫沢めろんとかいう人から本を送られたが、太田出版には恨みがあるから紹介するわけにはいかないと書いている。しかし、太田出版は会社であって、個人への恨みならともかく、そういう姿勢はどうかと思う。むろん、あれだけの大冊を没にされた恨みは分かるが、それとは別個に、書物として判断すべきである。
 私は仮に『問題小説』から小説の依頼が来ても喜んで書く。まあ、来ないけれども…。人にそういうことを言っている暇にお前ももう少し提灯持ち書評でもしろ、と言われたら一言もないのであるが…。