浜田寿美男について

ヘーゲル君が、浜田寿美男がどうとか言っていたので、調べてみた。名前は確か人間学アカデミーの講師として聞いたことがあったが、発達心理学者、元花園大教授、現奈良女子大教授。
 著書多数。中には甲山事件など冤罪に関するもの、私とは何かみたいな哲学系のもの、「こども学」系のものあり。
 なお「子供」という表記は左翼の間では「お供の供」として忌避されておりために「子ども」が一般的だが、筋金入り左翼は「こども」と全ひらがならしい。
 本来の「心理学」はあくまで理系の科学で、東大の心理学ではこれをやっている。しかしいわゆる半ば社会運動左翼系の子供心理学は、左翼の巣窟教育学部でやっている。なお阪大には教育学部はない。
 むろんこの浜田というのは、社会運動家である。
 そして端的に言うと、「自然科学においては決着がついているもの、ないしは着々と研究が深化しつつある現象について、それは納得がいかん、とかいって哲学的にアプローチする人」である。こういう人は多い。
 たとえば岩波新書『自白の心理学』は、なぜ人は嘘の自白をするのか、が書いてある。しかし、私たちは映画やドラマで、いきなり警察に同行を求められて、一般人が任意だから帰ってもいいなどということを知らず、二人くらいの刑事に脅したりすかしたりされて、認めれば帰してやるから、形式だけだから、かなんか言われて嘘の自白をしてしまうのをよく知っている。
 世間のことを何も知らない18−20くらいの輩以外には、こういう記述は「?」であろう。だいたい路上喫煙の「課金」だって、払わなくていいことを知らないのが庶民である。おれおれ詐欺に引っ掛かる庶民である。
 むろん、事件の概要を知るのは結構だが、そんなものは「心理学」とは言えないのだ。
 もうひとつ、講談社選書メチエ『「私」とは何か』を見てみると、人はなぜ言葉を話すのか、と問う。しかしここでも浜田は、チョムスキーやピンカーに触れつつ、そういう進化論的説明では納得できない、と言って話を進める。
 またこの人は自閉症についてもよく書くのだが、自閉症は脳の障害に起因する先天的疾患だというのに、何やらその症例から人間一般に関する「思弁」を始める。脳科学をきちんと勉強した形跡はない。脳科学の勉強なくして心理学はありえないと思うのだが、つまり哲学的疑似心理学である。

 まあこういう人は世界中にたくさんいるのだが、結局「思弁」がしたいのである。その思弁を、自然科学に邪魔されたくないのである。
 実は哲学などというのは、学問として成立しうるかどうか疑わしい。ありうるのは、過去の哲学者の訓詁注釈か、学問の方法論についての研究だろう。

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私は『めぞん一刻』は好きなのだが『うる星やつら』は全然面白くなくて、『めぞん一刻』が終わってから高橋留美子はほとんど関心の外になった。『らんま1/2』というのを連載しているのは知っていたが、そういえばまだやっているのかなあと思って調べたらとっくに終わって『犬夜叉』というのに変わってさらにそれも終わっていると知り、自分がそっち方面に疎いことに愕然とした。
 押井守というのがなんで人気があるのかもよく分からない。
 そういえば『日出処の天子』って、タイトルは聖徳太子のことではないのだ。

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映画『童貞放浪記』のパンフレットに「童貞映画」が列挙してあって、中に「ラスト・ショー」があったので苦笑してしまった。これはキネマ旬報外国映画一位になっているが、学生時代、どこかで上映されていたのを観に行ってあまりに下らないので仰天した。舌津も観に行ったとかで、二人で、なぜあんなものが評価が高いのかと言いあったものだ。
 『戦後キネマ旬報ベストテン全史』を見ると、この映画に一点も入れていない批評家が何人もいる。石上三登志荻昌弘古波蔵保好小森和子佐藤忠男白井佳夫竹中労、津村秀夫Q、南部圭之助松田政男山田宏一淀川長治らである。これだけ錚々たる顔ぶれが一点も入れなかったのにベストワンになってしまうのは、その他大勢の名前も聞いたことがないような人が点を入れたからである。
 これがまさに、一人一票の民主主義のダメなところで、私はキネ旬ベストテンはほぼ観ているが、よくまあこんなに下らないものばかりテンに入れたものだと呆れること多々である。
小谷野敦