遅いんだよ直木賞

 北村薫さんがようやく直木賞を受賞した。59歳。鴻上尚史岸田戯曲賞を受賞した時のように「遅いんだよ!」と言ってやりたい。
 先日鎌倉で、初めてお目にかかったが、手紙のやりとりはそれ以前からである。受賞作『鷺と雪』は、推理もの仕立てなのは世を忍ぶ仮の姿、昭和十年前後の風俗を描いた作と見た。
 なおあとがきに、昭和十年、東京にコノハズクのブッポーソーの鳴き声が響いた件について、小林清之介著が資料として挙げられていたが、小林清之介は、「うちのかみさん」と言っていて、それを聞いた額田やえ子コロンボに用いたと言われる人である。

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 東浩紀が、『週刊朝日』でまた変なことを書いている。エヴァンゲリヲン破を観てきた、いい、と絶賛している。ところが(また誤読だとかいちゃもんをつけられると嫌なので原文どおり引用する)

十数年前、人々がなぜエヴァの物語にあれほど魅せられたのか‐‐それはいまだに大きな謎として残っています。
 けれども、今回のリメイク版にはそのような謎がない。よくできた物語や人物造型に、若者が普通に惹きつけられている、それだけなのです。

 いや私は別に十数年前だって、よくできた物語や人物造形やその他クオリティーの高さに惹きつけられただけだと思うのだが。
 それに対して『週刊文春』の宮崎哲弥は、サイコドラマというエヴァンゲリオンの本質は十数年変わっていないと書いていて、もちろんこちらが正しい。
 

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そういえばこないだの阿佐ヶ谷のイヴェントで、プロデューサーが映画の原作を探していたという話で、何人かに打診して断られたという話を聞いて私は驚いて、そりゃよほどの大物作家たちに打診したのだろうと思った。私なんか、某有名女性漫画家が、自作を無断で劇化して上演する人たちがいると怒っているのを見て、宣伝になっていいじゃん、と思ったくらいで、やはり大物は違うんだなあと思っていたら、絲山秋子が自作の映画化のシナリオの活字化を拒否して訴えられたというニュースがあって、芥川賞作家ともなると、こだわりがあるんだなあと感心した。ところで損害賠償一円って何かね。契約違反とあるけれど、この場合はおそらく、著作権侵害不在確認訴訟になるはずだが…。

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新日本文学』はもうなくなっていた。『社会文学』という雑誌の2007年にあの井口時男が「小説は他人を巻き添えにしてよいか」というのを書いていた。『石に泳ぐ魚』の話なのだが、井口は、原告女性が最後に新興宗教に入るところが事実を歪曲しているのがまずかったのではないか、とちらりと書いている。
 そもそも、井口がここでも依拠している川嶋至の『文学の虚実』にねじれがあるのだ。川嶋は当初、安岡章太郎の『月は東に』が事実を歪曲しているとして、「人は事実に傷つくのではない、虚偽に傷つくのだ」としたのだが、連載が続くにつれて、事実でも不満を言う人がいることにいやおうなく気づき、文学の名の下に他人を巻き添えにしてもいいのか、などと言いだした。井口はそのよじれを引きずったまま書いているから、ああでもないこうでもないと、中身のない評論になるのである。いっぺん、きちんとそこのところ、総括しなきゃダメである。

健康幻想(ヘルシズム)の社会学―社会の医療化と生命権

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 結局、児童ポルノ規制法改悪も禁煙ファシズムも、中産階級の女たちによって支えられているのだ。専業主婦から選挙権を奪ったら、禁煙ファシズムなんてすぐ止まるかもしれん。日本ユニセフとか、日本禁煙学会と似たようなものだ。