芳賀・平川時代に「トンデモ修論」がいくつかあった、と書いたが、その一つは私のである。あれは創造的誤読評論だが、学術論文ではない。
 ただ、そういう、無理やり関係ないものを比較したみたいなのとは別の意味でのトンデモ論文が、五年くらい前に出たことがあった。
 合評会で私が評者になったので、読んでぎょっとした。エマソンが「詩人」と対比して「sensual man」と書いているのを、北村透谷が「俗人」と訳している。なぜ透谷は俗人と訳したのか、が論じられているのだ。
 「sensual man」は「俗人」である。それで古い『エマソン選集』が、当時まだあった教養学科図書室にあったので見てみたら、斎藤光が「官能的な人」と訳していた。この斎藤光というのは性科学者の人じゃなくて、英文学界の重鎮で孫に殺された斎藤勇の長男で東大教養学部教授だったが、著書も『エマソン』一冊しかないし、よほどのダメ学者、親の七光り学者だったようだ(まだ生きている?)
 こんな論文、活字にして、英文学者に見られたら大恥ではないか。
 だから合評会ではさんざんなことになったのだが、若い彼が間違うのはいいとして…いや良くないが、脇で聞いていた指導教員らしい某教授が「それ、OEDの何番?」と訊いたので、私は、OEDなんか見なくたって普通の英和辞典に出ています、と言ったのだが、このレベルの人が東大教授で指導しているから、こんな論文が活字になるような大へまをやらかすのだ、と思った。平川先生だったら、載せる前に読んで気づくのである。その程度には立派な実力はあるし、私も英単語の発音が変で平川先生に笑われたことがある。ダメな学生を笑う教授のほうが、自分がダメな教授よりはいいに決まっている。
 まあ今では井上先生とか、佐藤光とか(名前は斎藤光に似ているが)いるから大丈夫だろうが・・・。  

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がんは早期発見が大切とか、中川恵一先生そ知らぬ顔で書いていたけれど、肺がん検診を受けている人と受けていない人を抜き取り検査したら、受けている人のほうが死亡率高かったんだよ。だから肺がん検診やめたの。つまり、レントゲンの放射能で発症するってこと。私は十年以上レントゲン放射は浴びてません。

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東京新聞」の「大波小波」が月曜に『東大駒場学派物語』を取り上げていた。「労作」と書いてある。しかし、そこは大波小波、最後はおかしなことを書いていて、「小谷野に問題がないわけではない。人物を簡単に右翼左翼に分け、反共容共のレッテルを貼り付けてしまう点である」とあるが、私はそもそもこの本で「容共」などという言葉を使ったことさえない。まあせいぜい、神野志先生は共産党シンパだから平川先生と合わず、程度のことは書いた。しかも「簡単に右翼左翼」になど分けてはいない。四方田犬彦はどちらに分けられていたかな。
 もしそれを言うなら「天皇崇拝家」というのが、私がここで特筆大書したことなのに、それがなぜかこの「もてる男」と称する書き手には「反共」に変換されてしまうらしい。私は共産主義者ではないが、共和主義者である。多くの日本人は、この区別がつかないようであるが。

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安藤礼二が栗原さんのところで、私の知人某と三人でのカラオケを提唱している。しかし著書三冊で、賞を四つもとっていると、妬ましくて困る。私だって伊藤整文学賞は欲しかったのだし。まあこういう時にじっと黙って「嫉妬しているんだろうな」と思われるより、先に、嫉妬している、と言ってしまうのが私流。とはいえ、実力者なら嫉妬しない、と書いたことがあるけれど、安藤氏が対象にしているものって、私が評価していないのばかりなのでなあ。
小谷野敦