『声の網』

 枡野浩一さんに勧められた星新一の『声の網』を読んだ。短編連作などと書いてあるが、これは長編だろう。コンピューターが意志を持って人々を支配するという話で、最後に、それが神だというようなおちがついている。
 つまらないとは言わないが、面白くはない。何より、デジャ・ヴュ感が激しい。これくらいの話は、SFの中にいくらでもあるだろうという気がする。それといつものことだが、色気がない。美女をあてがわれても、美女は深夜前に帰ってしまう。ここを読んだ時、星新一のまるで処女のようなセックス恐怖を感じた。
 角川文庫の、2006年改訂版なので、恩田陸が解説を書いている。30年前に現代社会を予見していると、驚いてみせているが、うーん。
 コンピューターは、「お前の秘密をばらすぞ」という形で人を脅す。途中で、脅しに屈せず戦おうとする大学生三人組が現われて、これはコンピューターの陰謀で警察に捕まってしまう。
 これもデジャ・ヴュ感があるのだが、この「秘密をばらすぞ」という、誰にでも秘密があるという形式に、私は違和感を感じた記憶がある。推理小説でもよくあることだ。しかし、そんなに誰にでも秘密はあるものだろうか、と思った記憶がある。私なら、この小説は途中で壊す。コンピューターは「私小説作家」に電話を掛ける。私小説作家は、コンピューターが仄めかす秘密を「それは小説に書いた」「それも書いた」と言い、コンピューターは破壊される。
 それに、この結末へ持っていくにしても、重大なことが抜け落ちている。余命いくばくもない人を、この「神」はどうやって支配するのか、という問題である。そこまで描かなければ、大人の読みものとは言えないだろう。
 デビュー作「セキストラ」は確かに大人の読みものだった。

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古井由吉はほんとうにそんなに凄いのだろうか、と問うことは、その人の立場によっては、どんなホラー小説よりも恐ろしい。そんな問いを口にした瞬間、ああっすみません、つい素朴な疑問を、私には文学が分からないのです、古井さんの深遠な世界が分からないのです、許してください、と叫び出しそうになるくらい恐ろしい。
 初期作「先導獣の話」が実はいちばん面白かった。「円陣を組む女たち」もいい。だが私には「杳子」がどうして名作なのか分からない。しかし当時は、内向の世代論争というのがあった。それから『槿』を読んで、ふーんと思ったら、江藤淳が「退屈の美学」で批判していた。
 だが江藤が死ぬと、弟子だった福田和也は『作家の値うち』で古井を絶賛した。『仮往生伝試文』を世界文学の最高峰レベルと評した。しかしこの本は、出てから20年もたつのに、文庫にならない。
 大江健三郎なら、賛否両論、毀誉褒貶が激しいが、古井については、人は讃辞しか呈さない。しかし売れない。売れないのが偉さの証しのように、人は思わされる。アマゾンのレビューも賞賛で埋め尽くされている。まるで裸の王様のように「古井由吉は本当はつまらない」などと言おうものなら、密かに処刑されそうである。実に恐ろしい。
 私はその『仮往生伝試文』を読んでみたことがある。これが小説か、と思った。『白髪の唄』も読んでみたことがある。あとなんか読んだことがある。