人肉食

 私は「新近代主義者」である。それでどうも「人肉食」というものに興味がない。大岡昇平の「野火」とか武田泰淳の「ひかりごけ」とかに、さして感心しないのはそのせいである。死んだ人間は物体でしかないという感じがあって、もしそこで飢えていたら食べる、というのが、違和感があるのは分かるけれど、それ以上に重大問題だという気がしない。「ゆきゆきて、神軍」にも人肉食は出てくるけれど、あれは「食うために殺す」のだから別問題だ。佐川一政についても、「殺した」時点で犯罪は完結しており、それを食べたということになぜ人がああも騒いだのか分からなかった。
 むろん近代刑法は、死んだ者を食べること自体を罰さない。死体損壊罪というのがあるが、あれは前近代的なものだと思っている。先日、葬式をやるカネがないからというので、遺体を埋めようと穴を掘って逮捕された者がいたが、いま日本で葬式をやろうとしたら、貧民にはけっこうなカネがかかるのであって、むろん葬式をやらないで火葬場へ持っていったっていいわけだが、そもそも葬式仏教と堕した葬儀屋を放っておいて、こういう人を逮捕するのは、行政の間違いであり、葬儀を出すカネがない者に対してもきちんと地方自治体でフォローすべきなのである。

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こないだ、右翼系のテレビ(多分)で、西部先生と杉原志啓と秋山祐徳太子禁煙ファシズムの鼎談をしていて、しかし秋山は吸わないから、新幹線の喫煙車がガラガラで、なんて言うし、西部先生も、大した問題じゃないという構えだし、杉原に至っては、禁煙派の人と戦うつもりはないんです、などと言っていた。こういうのは、いじめには加わらないけれどいじめをする奴と戦う気はないとかいうのと同じで、卑怯未練な保身だとしか、私は思わないね。それに、大した問題じゃないというのも間違いで、全体の雰囲気によって異論を許さず押していくというやり方は精神の自由という意味で大きな問題だと私は思う。
 十五年戦争反戦を唱えたら牢屋に入るけれど、禁煙ファシズムと戦ったって逮捕されるわけじゃないのだから、戦う気がない反禁煙ファシスト勢力は、私としてはとりあえず軽蔑するのみ。内ゲバは避けたいけれども。

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『諸君!』の廃刊で思ったのだが、小林よしのり中島岳志の論争の際、小林の原稿は『諸君!』には出ず、牛村さんのが載ったのみであった。論争の舞台は主として『正論』であり、調べてみたら小林は『諸君!』には四年くらい登場していない。『正論』のほうで囲い込んだのかもしれないが、こういうおいしいところでネタを提供できなかったのは、『諸君!』の失敗だなあ。

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ミネルヴァ書房は、羽入辰郎の『支配と服従倫理学』を刊行予定。その意気やよし。ただ評伝選のほうは、三月には木々康子『林忠正』刊行の予定が、なくなっている。もうこのシリーズ自体、いつフェードアウトするか、はらはらする。

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私が小学四年生の時、担任の男教師の話で、友人の姉がイタリアにいて「勝子」という名前なのだが、友人が手紙を出していて、ある時、もう勝子ではなくてVittoriaという名にしてくれと言ってきた、というのはカツコというのはイタリア語では男のあれを意味するからだ、という話で生徒を笑わせたのだが、多分これは1961年にベストセラーになった岩田一男の『英語に強くなる本』で仕入れた話を変形した作り話だろう。イタリア語俗語でペニスはcazzoであるから、Katsuko、いなkatsuoと書いてあったってイタリア人が反応するはずがない。だが、では口頭で「カツオ」というとイタリア人はペニスだと思うか。私は怪しいと思う。
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/amneris/tesori/tesori_04.html
 ここにもあるが、作り話だと思う。まあ意図的に「カッツォ」と発音すればあれだろうが、普通に「ツ」にアクセントを置いて「カツーオ」とやったらそういうことはない。英語でbonitoと言ったっていい。カナダにいる頃、授業でカントをやっていて、理系のバカそうな一年生に「カントをやっている」と言ったら仰天していたが、発音は微妙に違うのだが、そんなものだ。
 田中貴子さんはパリへ行ってラムネを注文しようとして、「menthe a l'eau」だからマンタローで久保田万太郎だなと思って何度もマンタローと言ったが通じなかったそうだ。

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私もSF小説は苦手である。今までSFで一番面白かったのは、広瀬正の『タイムマシンのつくり方』に入っているエッセイ「『時の門』をひらく」で、ハインラインの短篇「時の門」のトリックを謎解きしたものである。そもそも、異世界ものSFは、日本においては漫画やアニメ、世界的にはSFX以来の映画に敗れる運命にあって、『地球の長い午後』なんて、挿絵もない本で読んでもちっとも面白くない。『闇の左手』なども、ジェンダー論批評の材料に使えるという以上の意味はないだろう。SF「的」手法が時に面白いことは認めるが(筒井康隆のごとく)、SF「小説」そのものは、映画やアニメを超えることはないのである。