改題について

 岸本葉子さんの『本はいつでも友だちだった』は、ポプラ社の「新・のびのび人生論」シリーズの一つで、これが出た時新聞で紹介できたのは、当時はめったに自分のことを語らなくなっていた岸本さんの、珍しく暗い子供時代を語ったものであるだけに、ファンとしては欣快事であった。ところでこの「のびのび人生論」って何か憧れるものがあるが、2000年で終ったらしい。まあ、私や中島ギドーに「のびのび人生論」を書かせるやつもいまいが・・・。
 ところがこの本が、2004年に同じ社で『本だから、できること』と改題され、さらに角川文庫に入るにあたって『読む少女』と改題された。岸本さんは文庫化に際しての改題は多いが、二度も改題したのはこれだけで、私も一時期別の本かと思っていたくらいである。
 改題するのは、売れなかった時である。『近ごろの無常』という、岸本さんの最高傑作が、文庫化に際して『幸せな朝寝坊』に改題されたのは、まあ私は元の題が好きだが、普通これじゃ売れないと思うのもやむをえない。
 しかし、たとえばカズオ・イシグロの『女たちの遠い夏』が、ハヤカワ文庫に入るに当たって、同じものが『遠い山なみの光』と改題されたのは、わけが分からん。元の題でけっこう知られていたし、それで文庫にもなっていたし、その題のほうが売れそうではないか。こうなると、イシグロのファンが別の本と間違えて買うことを期待しての改題ではないかと邪推したくなる(実際そうかもしれない)。
 訳者が違って、まるっきり別の題で出た例として、イヴリン・ウォーの『大転落』(岩波文庫)と『ポール・ペニフェザーの冒険』(福武文庫)があるが、私はこの時はたまたま同じものであることに気づいたから良かったが、間違えて両方買ったウォーのファンだっているだろう。原題に近いのは岩波のほうである。

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 石原亨氏からのお手紙で、『新潮45』85年8月号に外山伊都子氏の「『多情仏心』に捧げたわが人生」が載っているのに気づいた。これは多分、大宅壮一文庫雑誌記事目録を最初の巻だけ見てあとを見るのを怠ったせいだろう。
 まあ大きく里見伝を修正しなければならないようなことはなかったが、那須の山荘が元から外山名義で買われていたことが分かった。あとは里見の癇癪がよく外山(いっちゃん)相手に爆発していたこととか、『道元禅師の話』を曹洞宗から引き揚げる時はけっこう揉めたとか、予想の範囲内ではあるが、これはやはり見ておくべき文献だったと思った。実は外山さんには取材を申し込んで断られているのだが、返事の葉書に一言書いてくれれば・・・いえ私の怠慢ですね。

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週刊読書人』に『カムイ伝講義』の高山宏による書評が載っていたが、どうせお友達書評だろう。あと『愛と性の文化史』の木股知史・甲南大学文学部教授による書評も載っていて、まあ別にいいのだが、木股は佐伯さんの仲間のような気もするし、田中貴子への抑止力にもなっているのかもしれんと思った。そういえば、返事をしない相手には、って田中貴子淀君論争では私に返事をしていないんだよね。

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カテゴリーをつけてみたら、古い日記を見直して、片山杜秀中島岳志と対談していたことを思い出した。

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出会い系の規制が厳しくなってきた。ふふふふ全国童貞連合、どうする?

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 「ファミリー音楽産業」とかいうところから電話が掛かってきた。女の声で、今度BBCのシェイクスピアがDVDになったという。セールスだな、と思ったが黙って聞いていたら、1978年に製作されて80年ころNHKでも放送されて、と説明を始める。パンフレットを送ったとかいうのだが、来ていないか捨ててしまったか。全国の英語教師に送ったというのだが、全然私が何者か把握していなくて、「先生はシェイクスピアはいかがでしょうか、ご興味おありでしょうか」などと言うから、「私を誰だと思ってるんだ!」と怒鳴りつけて電話を切った。相手がどういう人間かまるで把握せずに電話しているのだ。この様子では、玉泉八州男あたりにもこの調子で電話していかねない。『検索バカ』という本があるが、実際にはまだこのレベルの「検索しないバカ」がたくさんいるのだ。
(付記)上記、やや脚色してあります。実際は「私のことを何も知らないのですね。私はシェイクスピアに関する著書もあるのですよ。そういう、何も知らずに電話を掛けてくるというのは…」などと言った。
 (小谷野敦