ポーランド文学者・工藤幸雄(1925−2008)の『ぼくの翻訳人生』(中公新書)を読んでいたら、不思議でおもしろい一節に出くわした。工藤は1967年、ユーゴスラヴィアセルビア)のイヴォ・アンドリッチの『呪われた庭』を重訳した。すると1972年の『ノーベル文学賞全集』に同じ作品がK.Sの訳で出て、似ているから「盗訳」ではないかと思い、K.Sに会ったら殴ってやろうと思っていたが、あとでよくよく見たらそんなに似てはいない。それでK.Sに会った時、殴るのはやめたが、K.Sは、「参考にさせてもらいました」と言ったという。これは東大教授だというから、文学部露文科の栗原成郎であろう。
 しかし工藤の怒りは、既訳があるのに新しい訳を載せた編集責任者の東大教授Kに向かい、1975年Kを自宅に招いた際問い詰めたら、「既訳があるのを知らなかった」としらばっくれた、という。これは木村彰一であろう。しかしさらに話はおかしくなり、その時、KとYも工藤宅へ来ていて、工藤は一番若手のKの顔にグラスのウィスキーをぶっかけ、しかしKは怒りもしなかった、とあって、どういうわけかというと工藤は1967年に共同通信社を辞めてワルシャワ大学の日本語講師になり、7年ワルシャワにいたのだが(その時のことを『ワルシャワ貧乏物語』『ワルシャワ猫物語』に描いたのが夫人の工藤久代)、74年になって事実上解雇されて帰国した。というのは、東大とワルシャワ大の間に交換制度ができて、代わりに東大から講師が来ることになったとかで、その制度を作ったのが木村、Y,Kだったらしい。Yはワルシャワでたびたび工藤に会ったがそれを言い出せず、木村に擦り寄って東大教授になったという。のち事故死したというから、これは教養学部教授だった吉上昭三だろう。吉上は自宅の火事で焼死している。さてもう一人のKは、木村の退官記念論集に、木村の弟子でもないのに寄稿していて、実はさして悪くないのに、吉上の「裏切り」への怒りから、いちばん若いので側杖を食った、と工藤は書いているのだが、果してこのKとは誰か。木村の退官記念論集『ロシア・西欧・日本』の執筆陣で、イニシャルがKで、木村の弟子でなく、工藤や吉上より年下といったら、小原雅俊しかいない。が、私はこの人は知らない。
 工藤はおかげで一年半、変名でポルノの翻訳などして糊口を凌ぎ、奥野健男島尾敏雄のおかげで多摩美大の教授になったという。何だかゴシップとしては切れ味がよくないのだが、吉上が入るなら、工藤の友人だった江川卓(馬場宏)の方が、東大卒だし、適任だろうと思ったという。吉上は江川が脳梗塞で倒れたあと、「江川ももうダメだな」と言っていたとか。ところでこの木村の記念論集に、まだ二十代で寄稿しているのが、亀山郁夫である。それとまたどういうわけかここに登場する面々、スタニスワフ・レムの訳者が多いのだが、ポーランドといえばレム、という時代があったのである。

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以前、坪内祐三が、江藤淳が家系自慢をするのを批判して、神田の電気職の息子だった福田恒存が聞いたら何と思うか、と書いていたので、私は福田が、神田の小さな電気屋に生まれたのだと思っていた。すると講談社文芸文庫附載の福田年譜で、名付け親は石橋思案とあり、父は電気会社勤務で、それを辞めたあとは書を教えていたとあり、この福田幸四郎というのが、ただの電気職でないことを知って、またしても裏切られたような気分になったのであるが、この父がどういう来歴の人で、思案とどういう関係にあって、思案が名付け親だというのがどこに書いてあったのか、分からない。実は年譜の作者にまで問い合わせたのだが、いま遽かには分からないとのことである。誰か知っていたら教えてください。
 ところでこう書いたからといって、私は福田恒存をさほど高く評価してはいない。シェイクスピアの翻訳は悪い意味で新劇的で堅苦しいし、ロレンスの『アポカリプス』がなぜ『現代人は愛しうるか』になるのかも分からないし、『私の幸福論』などは伊藤整の『女性に関する十二章』のほうがずっと面白いし、平和論は今では常識だし、嫌煙権批判をしたのはいいが、あの当時、そういう人はほかにもいたし、「龍を撫でた男」とか「キティ台風」とか、今ではとうてい読むに耐えないし、文藝評論もさほど切れ味は良くない。旧仮名遣いに関する議論は正しいのだが、いま中村保男のように自ら旧仮名で書くほどの執着は私にはない。

付記:命名の件につき、福田全集第一巻覚書に、父が白山の出張所にいた頃、石橋思案がどういう因縁か名付け親になった、とあると前田嘉則氏よりご指摘を受けました。しかし父親と思案の関係、依然分からず。

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三浦淳先生と対照的に、よくない学者のウェブサイトの例である。
http://www2.biglobe.ne.jp/~naxos/index.htm
 何が良くないかというと、ブログも二つあってやたら情報量が多いのに、肝心の中路正恒という人の現職とか履歴とか業績とかが全然分からないに等しいことである。