古屋健三「老愛小説」

 『わしズム』にも書いたのだが、昨年八月の『文學界』に載った古屋健三の「老愛小説」は、私が読んだ中では昨年度ベストの小説だった。古屋は、知る人ぞ知る慶大名誉教授のフランス文学者で、60歳になるまで著書は出さない方針で、今は70を超えているから著書も三冊、また数年前から小説も書いている。
 私は「老愛小説」が芥川賞をとり、森敦(世間ではもりとん)の最高齢記録を塗り替えることを期待していたのだが、発表された候補作の中に「老愛小説」はなかった。若い女が売りものの今の芥川賞では、70超えた老人の小説など要らないということなのだろうか。残念である。それにしても、古屋の小説はもう一冊にしてもいいくらいあるはずで、是非刊行してほしいものである。

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永田寿康のように、原因が特定できる場合はともかく、原因不明の自殺というのは、しばしば精神障害、すなわち統合失調症の疑いが濃く、統合失調症は遺伝性が極めて強いから、そういう自殺者の家族にはまず精神病者が一人いると考えたほうがいい。

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翻訳というのは、一般に、楽器の演奏と同じで、進化する面と退化する面とがある。チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、作曲された時は難曲だったが、今これを弾けないプロのヴァイオリニストなどいない。しかしだからといって、ホロヴィッツより後のピアニストがみなホロヴィッツのように弾けるわけではない。
 翻訳もまた、時代とともに翻訳者は優秀になっていくはずで、新訳の場合は、先行訳を見たり、原書の注釈などを見たりして、全体として次第に進化するはずのものだ。「ティファニーで朝食を」の、龍口直太郎のあのひどい訳は、さすがに村上春樹訳でまともになっただろう。だが退化することもある。鴻巣友季子程度の翻訳家に、なぜ『嵐が丘』の新訳などさせたのであろうか。私はクッツェーの『恥辱』の鴻巣訳を読んで、日本語を知らない人だなあ、と思ったものだが、どういうわけか、やたらと人気がある。別に優れた翻訳があるわけでもないのに、いつの間にか文藝評論家みたいになっている。うーんやっぱり、美人だからかなあ。

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ひとつ面白いことを教えてあげよう。ナチスは、自分たちゲルマン民族は、これまでユダヤ人の圧迫に遭ってきた、と言っていた。禁煙ファシストとよく似ているね。