眉唾「タコ」語源説

 先日、「タコ」というのはいつから罵倒語になったのかと書いたら、こんな説があると教えてくれた人がいる。

http://blog.livedoor.jp/miwobooks/archives/850383.html
(なお大野智と書いてあるが大野敏明)

 しかし当該書を見ても、出典が書いていない。巻末にある参考文献をいくつか当たったが見当たらない。第一、近世武士が使っていたというなら、それから近代をへている間にもっと豊富な用例があるはずだが、見たことがない。米川明彦『日本俗語大辞典』には、嫌な男、不細工な男を罵っていう言葉。関西のことば、とあるが、用例が最近のものばかりで、関西語とする根拠も書いていない。牧村史陽『大阪ことば事典』にも載っていない。私の記憶では、1980年ころにビートたけしが「このタコ!」とやってから広まったものだ。
 しかもこの大野説、いかにも胡散臭い。本来なら当人に出典を訊くべきなのだろうが、書いていないのだからないのだろう。暫定的結論として、「誰かが作った法螺話を大野が真に受けた」としか私には思えない。太宰久雄はタコに似ているからタコ社長なのである。

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佐藤優がまた記者を恫喝している(毎日新聞夕刊)。「媒体によって立場を変えているようですが」と記者が言うと、「根拠もなく印象論でものを言うな」と恫喝。根拠ならいくらでもありますよ〜。共和制になるとファシズムになるとか、珍論たくさん。でも記者が根拠なんか示したら、憤然として座を立って、版権を引揚げるとか言うんだろうなあ。まあ、佐藤なんぞに一面使ってインタビューするほうが悪いんだけどね。

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図書館で先月の朝日新聞を見てきたのは、斎藤美奈子の文藝時評を見るためである。私にとって、新聞のバックナンバーをぺらぺらめくるというのは実に恐怖の体験で、いつ禁煙ファシズム記事に出くわすか分からないし、新聞が、自社に都合の悪いことを言いそうな人を排除して成り立っているのが、最近はとみにひしひしと分かって「言論統制」という語が頭に浮かぶからである。すると、松原隆一郎が論壇時評をやっているのが目についたが、折原浩先生は朝日新聞に「なぜあんな奴に時評をさせるのか」と抗議したのであろうか。
 ようやく見つけた斎藤の時評は、水村美苗の新刊をとりあげていた。私はこの本がなぜそんなに話題になっているのかよく分からないのだが、うーんまあ「文壇特等席」みたいなものがあって、その人の本が出たらとにかく新聞は写真入りで取り上げる、という席で、水村はその席に座っているということでもあろう。それで、仲俣暁生がやたら怒っているということが書いてあって、見た。
http://d.hatena.ne.jp/solar/20081111#p1
 うーん、なんでそんなに怒るのか。英語のできるエリートを育てよというのは、もう30年も前の、渡部昇一平泉渉の『英語教育大論争』の時にどちらかが言ったことだし、日本近代文学を読めというのも、別に江藤淳あたりも言っていたし特に目新しくないから、騒ぐ理由が分からんのだが、それより私が驚いたのは、水村が岩井克人夫人であることを今ごろ知った仲俣、である。20年くらい前に『文學界』でアツアツ夫婦対談もやっていたのに、私と同年輩の仲俣が知らないというのは、もしかしてこの人は、若い頃は文学に興味がなかったのだろうか、と考えた。しかも、岩井が柄谷と親しいとでも思っているようだが、もう13年くらい前に二人は決裂しているはずで、妙なところで認識がずれているのである。それに柄谷は『文學界』で津島佑子黒井千次と鼎談をやって、ちと誤解があるぞと言っているのだが、それはどこへ位置づけられているのであろうか。
 しかし、水村著が小林秀雄賞をとるのだろうというのは、なるほどそうか、と納得したのである。水村はこれまで出した単著がすべて何かを受賞しており、受賞率100%である。こういうのは、よほど世渡り上手の人たらしでなければありえないことで、私は『私小説』というのがあまりにつまらなかったので以後は読んでいないし、あまり良心のある人だとは思っていなくて、きっと将来紫綬褒章とか文化功労者とか藝術院会員とか、そういうものになる人だろうと思っているのである。だから、今回の騒動は、水村が善良な人だと思っている人がまだいた、ということによるのであって、『本格小説』の頃からこれを皮肉っていた斎藤美奈子は、とうに水村の謀略家ぶりはお見通しだった、ということになろうか。まああと、沼野先生も謀略家だろうなあ。平野の『決壊』だって、本気で褒めてはいないと思うよ。正直さとは無縁の人だし。だから「長すぎる小説」ってのも(仲俣の後の方の日記)、『決壊』のことかもしれないし。