「新ゴーマニズム宣言」は、相変わらず佐藤優言論弾圧との戦い編である。最後に、佐藤が、小林よしのりが先に撃ってきた、と言っていることについて、「いつから言論界には先に批判したやつが悪いというルールができたのだ。幼児のケンカか?」(大意まとめ)とあるが、私もあれは不思議だと思っていたね。
 笙野頼子もそういうことを言うのだ。「海底八幡宮」で、名は出さずに私をさして、「何の恨みもないのに」批判してきた、と書いているのだが、笙野にとって、文学上、言論上の批判は、恨みがあるからするもの、恨みがなければしてはいけないものなのか? 未だかつて「なぜ何の恨みもないのに批判するのだ」などと言った奴はいない。佐藤も猫好きだし、笙野と気が合うんじゃないか。
 もっともよしりん、場を設けて佐藤と論争しようとしたというお人よしぶりにはちと驚いた。佐藤が正々堂々たる議論になど応じるわけがないではないか。言いたいことは言いっ放し、批判されて鬱陶しければ裏から手を回す、そういう奴なんだから。アイヌに対する差別がどうこうとよしりんにいちゃもんをつけたようだが、天皇を崇拝すること自体が差別なんだよ、佐藤学士。

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週刊新潮』の掲示板で佐伯順子先生が探しものをしておられる。船越英二主演の『痴人の愛』である。なるほど、同じ木村恵吾でも最初の、京マチ子宇野重吉のはビデオになっているが、これはビデオになっていない。佐伯先生、谷崎作品の映画化の研究でもなさっているのかしらん。