ダグラムの感動

 私は『太陽の牙ダグラム』が好きだった。ちょうど私の予備校生時代から大学二年にかけて放送されていた。おもちゃが売れたため異例の延長になったが、アニメ評論家の間ではひどく評判が悪いという、『ガンダム』や『イデオン』とは逆の結果となった連続アニメだった。
 これは、地球連邦からの独立戦争を描いたもので、主人公の少年は、連邦評議会議長の息子でありながら、独立軍に身を投じるという役回り。ヘルムート・ラコックという冷徹な政治家が悪役で出てきたが、これはいいキャラだった。他の戦争ものロボットアニメに比べて、「政治」が描かれる比重が高かったのも、私が気に入った理由だが、それも当時の評論家からは、大人が見ても感心するほどには描かれていないなどと散々に言われていた。しかし富野アニメの、未来社会なのに一族が王族のように軍事司令官をやっているというファンタジー的な設定に比べて『ダグラム』はよりリアルで、言いがかりである。
 そして何といっても感動的だったのはそのラストである。デロイアは条件つきの独立を認められたが、これに満足しない主人公たちは戦争を続けようとする。しかし独立派のサマリン博士は、ここは妥協すべきところだと考え、主人公たちを説得しに行き、非業の死を遂げる。その時のサマリンの台詞は、二十歳くらいの私に衝撃を与えた。未だかつて、正義を貫徹するよりも妥協が必要な場合もある、というような世界観を、アニメで見せられたことなどなかったからである。
 真ん中が長すぎるが、適宜編集した版で、若者に見てほしいアニメの一つである。

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 私も寄稿している『中央公論』12月号で、加藤廣が、かつて「純文学」を書きたいという思いに悩まされたが、和英辞典に「純文学」はあるが英和辞典に「純文学」はないと気づいてふっきれた、と書いている。ちょっと意味不明である。ためしに手許にある『デイリーコンサイス和英辞典』で「純文学」を引いてみると、「pure(polite) literature, belles-letter」とある。そしてやはり手許にある『プログレッシブ英和辞典』でliteratureを引くと、「pupular(polite) literature 純文学」とある。ある。belles-lettreはむろんフランス語から英語に輸入されたものだが、もちろんこれも載っている。
 昔から、外国(西洋)には純文学と大衆文学の区別はないという「都市伝説」があるのだが、そのことは『聖母のいない国』で詳しく論じた。加藤氏は東大卒だが・・・。
 あと、自分の経験を書くのは勧められないと、私とは逆のことを言っている。というのは、すぐにネタが尽きるからだという。だから自分は後にとっておいてある、と言う。しかし加藤氏既に78歳である。こういう、永遠に生きるつもりでいる人というのは、しばしばいるものだ。さらに、多くの若い作家が、思いがけない大賞を得たあとに消えてしまうのは自分のことを書き尽くしてしまうからだ、若い大賞受賞者ほど消える傾向が強い、と書いている。
 これも分からない。大賞といえば芥川賞だが、むしろ若くして芥川賞をとった作家ほど、消えない傾向が強い。才能があるからだ。どうも、具体的にどういう人を思い浮かべて書いておられるのか、ちと分からない文章であった。
 (小谷野敦