八木透の「いまいましい」

 『江戸幻想批判』で私は、八木透という民俗学者を批判している。フェミ二ストぶっているくせに江戸の性はおおらかだったとか、川村邦光森栗茂一と一緒にくだらないスケベ話に興じていたからである。
 その八木と、山崎祐子、服部誠の『日本の民俗7 男と女の民俗誌』(吉川弘文館)を見つけたので買ってきた。九月刊である。八木はしかし、相変わらずバカである。冒頭から「「男と女」とは、民俗学にとって永遠の命題である」と誤用。ぱらぱら見ただけでこの「命題」を三回も使っている。
 続いて、上野千鶴子が講演を拒否された事件に触れて、若桑みどりが、「ジェンダー・フリー」の本来の主張は、性別役割分担の否定なのに、「反対派が『性差をすべてなくすこと』という間違った解釈をしていると厳しく批判する」などと書いている。間違った解釈などではない。小倉千加子の『セックス神話解体新書』には、性別役割分担の否定以上の、多数のジェンダーという主張が書かれており、金井景子は、男の子もスカートを履くような社会に、と言っていた。小倉の本はあちこちの大学や市役所などでフェミ二スト団体が推薦していたことは歴然たる事実である。それにおかしいのは、上野の事件なのに、なぜ「上野が」と言わないのだろうか。東大社会学の教授が、美術史家に代弁してもらう必要がどこにあるのだろう。死人にものを言わせて、文句の持っていきどころをなくそうとしている。
 しかしおかしいのは、「いずれにしても、この問題は権力による一種の言葉封じであることは間違いなく、その意味でいまいましき事態であるといえよう」という八木の文章で、「いまいましき」って、思わず失笑してしまう。普通、「由々しき」だろう。なんか八木の本心が出ていて可笑しい。「確かにジェンダー・フリー派は性差の解消などでせっせと過激さを競ってきたのだが、輿論の支持が得られなそうだからひっこめようとしたのに、小倉や金井の活字になった証拠をつきつけられて、ええいいまいましい」という本心が。
 さらに少し進むと「著名な民俗学者である宮本常一」とある。学術的記述において「著名」なんてことは無関係なのだ。「土佐源氏」なんて宮本が創作したポルノ小説であることを、八木は知らぬのであろうか。さらに、

現代社会に生きる子どもたちは、昔と比べて人間関係が希薄になったといわれる。とくに小学校や中学校時代に、生涯つきあえるような親しい友人を見つけることが極端に減っていると聞く。(略)今時の子どもたちは、少なくとも民俗社会の子どもたちと比べると、明らかに友人たちと過ごす時間より、一人でゲーム機やパソコンと向き合っている時間が長いようだ。

 おーい、データに基づかない若者論者がここにもいるぞ。「いわれる」だの「聞く」だの、学者なんだからソースを明らかにせよ。しかも「明らかに」を「ようだ」で受けるのはおかしいだろう。
 続けて、男の助産師導入が、当の妊産婦の反対に遭って流産した事件を扱い「喧々諤々とした議論の末に」と書いている。それを言うなら侃侃諤諤である。喧々諤々などという言葉はない。
 だいたい、近代黎明期に、男の産科医に見られることを嫌がる女たちがたくさんいたために、楠本イネなどが、女として産科医になることを目指したのである。別段男の助産婦がいなければ不都合であることなどあるまいに、八木は「イデオロギーとしての羞恥心」なる見出しの下に、ごてごてと議論するのだが、見知らぬ男に出産の手伝いをしてもらうのが嫌だという妊産婦に、八木は「その恥ずかしさはイデオロギーだ」と説教でもするつもりであろうか。しかも、既にこの、何が何でも男の助産師を実現させたげな文章自体が、「すべての性差をなくしたい」という八木自身のイデオロギーを、語るに落ちる形で露呈している。
 佛教大学大学院修了という八木のバカさは、死ぬまで治らないようだ。
 もっとも、それだけならわざわざ本を買ったりはしない。愛知県立旭丘高校教諭の服部誠による、夜這いについての記述が、優れたものだったので買ったのである。服部は八木よりよほど頭が良く、かつて上野らによって美化された農村での若衆宿、夜這いなどについて、「自由恋愛」ではなく「恋愛慣行」だったと的確に指摘している。娘時代、夜這いはおそろしいものだったと語った『よばいのあったころ』(向谷喜久江、マツノ書店、1986)が参照されていないのが残念ではあるが。

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 不断はまったく見ない雑誌だが『AERA』でコメントしたので送ってきた。「エド・はるみ」とかいう人が、年齢だけは明かせないとか言っていたが、私はこの人は美女だと思う。年齢など関係なく美女である。しかしそのお笑いなるものは、私はテレビでは観たことがないが、YTで見て、あまりに面白くないので呆然とした。察するに、美女が顔をひん曲げてギャグ(らしきもの)をするというので受けているだけであろう。
 そういえば昔「江戸あか音」という藝名を用いていた人がいたが・・・。
小谷野敦