今年の二月頃に、漫画のシンポジウムが開かれて、伊藤剛マット・ソーンとともに佐伯さんが出ていたのを見て、ちと内心苦笑した。
 佐伯さんは、子供の頃全然漫画を読まなかった人なのである。売れっ子学者になってから、編集者が漫画論を書かせようとしてたくさん持ってきたのを苦労して読んでいたが、ものにはならなかったようだ。
 私くらいの世代で子供時代に漫画を読まなかったというのは、やはり良家の令嬢ないしはエリート教育の家ならではだね。田中優子も読んだことがなかったというが、これは世代が少し上だが、2000年くらいからせっせと読み始めて、結局辿り着いたのは、『カムイ伝』だったというあたり、やっぱり学生時代は「左翼」だったのかな、と思わせる。
 佐伯さんは、漫画を娯楽として享受したことは多分ないので、『リボンの騎士』なんか読んで、異性装がどうとか、卒論以下の、学生のレポートレベルの「論文」を日文研の論集に出していたっけ。
 で、以下のようなのもあるのだが、
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/month?id=10788&pg=200104
 4月12日のところに、

 『國文学』5月号、今回はメディア特集。
 佐伯順子という人が、波津彬子『天主物語』をとりあげて、少女マンガの「花と女性のコンビネーションによる視覚的相乗効果」についてやたら述べているが、なんだか三十年か四十年くらい前の古臭い少女マンガ論を読まされているようで、ああ、活字の人ってのはやっぱりこんなふうに世間とズレていくのだなあ、とシミジミ思った。
 今時の少女漫画はめったに花をしょわせたりはしない。むしろ花を描くことを恥ずかしがるマンガ家も多いくらいである。波津さんだって、『雨柳堂』の方ではそんなに画面に花を散らしたりはしていない。
 『天主物語』に花がやたらと散るのは、原作が泉鏡花であり、古臭さを演出するためなんだってことに、この佐伯ってヒト、気付いてないんだなあ。

 しかし別に「活字の人」だからじゃないのだ。わざわざ、少女マンガに意味なく花が散るなどということを議論するのも、子供時代に漫画を読んだことのない人ならでは、なのである。
 まあ、あまりいじめるのも何だが、けっこう、東大院卒というような女子には、漫画を読まないという人は多いはず。

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 サタミシュウとかいう覆面SM作家が、正体は重松清じゃないかと言われているのを知った。ありゃ、そうなっているのか。
 「大物作家」「ベストセラーも出している」とかいう情報があるようだが、まあ大物というんでそういうことになっているのだろうが、私が読むと違うのだ。『私の奴隷になりなさい』の後ろの方で出てくる中年男が作者本人なのだろうが、あの理屈の捏ね方とか、『野性時代』で大沢佑香と対談した時のシルエットとか(重松とは全然違う)、どう見ても三浦俊彦芥川賞候補作家という点では大物とも言えるし、論理学関係ではベストセラーも出しているし、女子大教授だから覆面にせざるをえない。まあ本名で『のぞき学原論』出しているんだから、今さらという気もするが、・・・・・・いやこれは内部情報じゃなくて、あくまで私の推測ね。
 (小谷野敦