史上最低の芥川賞受賞作

 最近でいえば、中村文則と双璧をなす。漢語表現をそのまま使っているほか、変な日本語が散見される。中味にしても、何ら小説である必然性がなく、これなら、ドキュメンタリーかノンフィションを読んだほうがいいだろう。白英露とかいう女の描写も中途半端だし、「梅」とかいう妻に至っては、何も描かれていない。まるで明治40年以前の青春小説の出来損ないで、青年二人が主人公なのに、尾崎豊がどうのこうの言っているだけで、「性」については何も書いていないというのが、いかにもシナ人らしい。同人雑誌に載って埋もれていくべきレベルの「小説」である。
 石原慎太郎は欠席したそうだが、選評は文章で書いてくれるのではないかな。もっとも、石原が出席しても、受賞作に変りはなかっただろう。
 豊崎由美は今回の受賞作に激怒しているが、小川や川上に本気で期待していたのか? 豊崎大森望の「メッタ斬り!」が始まって以来、芥川賞の選考は文学オタクたちの格好の話材となった観があるが、中に、石原慎太郎宮本輝が「保守派」で、「前衛的」な作家の受賞を阻んでいるのだと信じている人たちが結構いるようだ。もっとも、宮本のほうは、三島由紀夫賞の選評などと合わせて言われている。
 確かに宮本のほうは、「神経症的」という言葉を使って候補作を批判することが多く、私は、その「神経症的」という語の定義、および、神経症的でない文学とは何か、宮本に尋ねてみたい気もする。なぜなら、近代文学は元来神経症的なもので、特に「純文学」と呼ばれるものは、20世紀以降、どんどん神経症的になっており、もし宮本がそういう作品を認めたくないなら、前から言っているように、大衆作家として、直木賞や山本賞の選考委員になるべきだからだ。
 しかし石原に関しては、都知事としての「反動的」とされる発言などがごっちゃになって、単にイメージが一人歩きしている感が否めない。では今まで、石原が反対したために「前衛的」な「新しい」小説が受賞を阻まれたことが、どの程度あったのか。
 こういうことを言う人は、阿部和重の受賞が遅れたことや、中原昌也が受賞しないことをさして言っているのだろうが、丁寧に選評を検討するなら、石原の反対で受賞がならなかったというようなことは、あまりない。
 石原が芥川賞の選考委員になったのは、95年の114回からだ。同時期に、池澤夏樹と宮本も就任している。その時からの受賞者は、川上弘美柳美里辻仁成と来る。辻の受賞については、創価学会員の選考委員が土下座して頼んだという説もある。
 次に117回、目取真俊の『水滴』が受賞しているが、選評で石原はこれを推している。目取真は左翼系の作家で、受賞作は沖縄戦を扱ったものだ。石原が、保守派だから、反戦小説になどやらない、などというスタンスをとっていないことが分かる。118回は受賞作なしだが、次は藤沢周花村萬月、石原はいずれも褒めている。ついで平野啓一郎の『日蝕』に、石原は疑念を呈しているが、これは当然だろう。ただこの時、赤坂真理の「ヴァイブレータ」が落選しており、これは残念なことだった。映画より原作のほうがよほど優れていた。
 次の122回が、藤野千夜玄月で、私はこの時、新聞の取材で新喜楽へ行っていたからよく覚えていて、私自身は宮沢章夫の『サーチエンジン・システムクラッシュ』を評価していたので、落選したのは残念だったが、受賞作を推し、記者会見に出てきたのは宮本で、石原はこの二作に否定的だった。この時石原が、藤野の受賞作を、これが同性愛でなくてヘテロだったら、何の変哲もないつまらない話だ、と選評で書いたのを、同性愛差別だなどと言った者がいたが、バカな話である。この文言のどこが同性愛差別なのか。玄月の作品にしても、何が言いたいのかよく分からず、宮本は単に大阪人びいきで推したとしか思われなかった。
 123回は町田康松浦寿輝だが、石原は町田を絶賛している。一般的に、町田は「前衛」的であって、石原が前衛に否定的だというのが事実ではないことを示している。松浦の作品はまったく評価していないが、これも当然だろう。
 次の回が青来有一堀江敏幸で、石原は青来を絶賛し、堀江は評価していない。後者は石原の見識だし、堀江は前衛なのだろうか? 松浦同様、優等生が書く小説と言うべきだろう。青来をなぜそう褒めたのか、よく分からないが、この時中条省平が青来の受賞作『聖水』を罵倒したのは、石原に対抗してのことなのか?
 その次、玄侑宗久だが、これも石原は褒めている。人によっては、阿部の「ニッポニア・ニッポン」が採らなかったのが不満のようだが、むしろこれを評価している宮本の選評を見ると、他の選考委員も否定的だったことが分かる。もっともその後の、仏教評論家みたいになった玄侑を見ていると、授賞に疑問は残るし、この受賞作も私は評価していない。
 次に長嶋有が受賞した時は、こんなものに誰が感動するか、と石原が怒ったが、それも当然だろう。まるで児童文学だ。しかし石原はその前の「サイドカーに犬」の時はけっこう褒めていたのだし、「猛スピードで母は」は全然前衛ではない。むしろこれを村上龍が推したのが意外だった。
 あとははしょるが、それから、吉田修一吉村萬壱金原ひとみモブ・ノリオなど、「気持ち悪い」系の作家が授賞していて、石原が邪魔をしたとかそういう事実はないし、選評を見れば、あまり石原の意見が通っていないことが分かろう。
 (小谷野敦