ハムレットの心配

 ハムレットは死ぬ間際にホレーショに、生き延びてことの真実を伝えてくれ、と頼む。「さもないと、私の汚名が後世に残ってしまう」。
 この世界では、父王ハムレットは亡霊になるから、ハムレットは亡霊として自分の死後の世界を知ることができるが、現実には亡霊は存在せず、死んでしまったハムレットは、どのような汚名が流布されようと、それに苦しむことはない。
 だから私が、「もし自分が理不尽に殺されたら、殺人犯を死刑にしてほしい」と言ったとしても、宮崎哲弥氏は動じないだろう。「死んだあなたは、殺人者がどうなったか絶対に知ることはできず、それは何らあなたの報復感情を満たすことはない。あなたがそのように言うのは、死後の世界というものを想定しているからだ」と言うだろう。
 宮崎氏は、藤井誠二との対談本で、死刑制度に基本的に反対だと述べているが、それは世間のいわゆる死刑廃止論者とは全然違うとも言っている。現在の権力は「生かす権力」になってきており、死刑廃止論者たちは権力の走狗になっているという池田清彦の言葉を引いている。また同氏は呉智英氏の仇討ち復活案を引き継いだ仇討ち制度について私案を出したこともあるが、これは国家が取り押さえた犯人に対する遺族による処刑案だから、矛盾しないかどうか疑問は残る。また藤井氏との対談では、死刑を秘密裡に行わず、前もって予告し、公表することを提案し、それができないなら死刑は廃止すべきだとも言っている。このうち一部は鳩山法相によって実施されている。それらを考え合わせると、『論座』での川端幹人との対談で、ごく簡単に、死刑反対論だと言っているのは、また誤解を招く恐れもあるが、まあ、断片的にものを言うのが宮崎氏のいつもの手法で、その根底には冒頭に記したような、死後の世界は存在しないという信念がある以上、私と論争しても行き着くところは見えているとも言える。
 しかし今のような、終身禁固刑をもって代替するという案は、まさに「生かす権力」になってしまうわけだが、ただ実際、それを実行すると、二十年くらいたって、「生涯牢獄にいると考えると耐えられない」などと言い出す終身禁固者が現れて、それを報道するジャーナリストが出てきて、しかしまさか今さら死刑にはできず(できないと分かっているから言う)、そしてむろんその受刑者は十分に悔悟しているという演技をして、仮釈放運動が盛り上がる、というようなことになるのではないかと、私は思うがね。
 (小谷野敦

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「歴史に好奇心」の田中優子先生に突っ込む。
「恋愛という言葉は江戸時代にはなかったんです。恋といって、必ず性的な感心、性的な関わりがある」
 恋愛だって同じじゃないですか。
「愛というのは、子供に対する愛情、慈しみという意味で」
 『諺紫田舎源氏』にちゃんと異性へのそれも「まことに愛したまふにあらず」とあります。目下の者への感情であったのは確かだが、子供とは限らぬ。
 ああもう駄目。「曽根崎心中」なんて一回上演されただけで再演されなかったし、「好色一代男」はベストセラーじゃないし、西鶴は江戸時代きってのベストセラー作家なんかじゃないし(浮世草子なら八文字屋のほうが売れたし、だいいち「売って」ないし、一番読まれたのは馬琴だし)、痴呆者の天国的番組だ。