エノケンと野田秀樹

 エノケンこと榎本健一の「孫悟空」という映画を昔観て、つまらなかったことがある。というか、いったいエノケンのどこがそんなに凄いのか分からなかった。面白くなかった。とはいえ、これは所詮映画だし、きっと生の舞台で観ると、何か特別なオーラがあったのだろう、と思う。ところが、妻によると、ほかの映像も観たがやっぱりおもしろくない、と言う。
 まあ笑いというのは、特別文脈や文化への依存度が高いから、こういうことも起きる。その点、私はどうも感受性が違うらしく、志ん生が「初雪やカラス転んで河童の屁」と言っただけで観客がどっと笑うのが、理解できない。有名なところでは、ビートたけしは実はおもしろくなかったというのがあって、「北野ファン倶楽部」であれこれ喋って、ちっとも面白くないのに高田文夫が媚びてばふばふ手を叩いていかにもわざとらしく笑うのが松本のネタになったくらいである。
 そして思うに、五十年くらい後の人々は、野田秀樹って何で昔はあんなに評価されていたんだろう、と思うのではないだろうか。私は昔、「小指の思い出」を観て、実に感嘆したものだが、「野獣降臨」でもう面白くなかった。あとはもう「キル」「半神」「Right Eye」「パンドラの鐘」「研辰の討たれ」と、何を観ても面白くない。ああいつもの野田だな、と思うだけである。
 それにしても、大河ドラマ新撰組!』で野田が勝海舟をやった時は、意外なキャスティングで面白いような気がしたが、今になって思うとミスキャストであった。鳥羽伏見の戦いに負けて、家来たちを置き去りにして徳川慶喜が江戸へ逃げ帰ってきて、勝が慶喜を怒鳴りつけるシーンがあって、あれは見せ場だったが、野田のあの甲高い声でいくら怒鳴っても、全然、「勝海舟」という感じがないのである。
 その脚本をやった三谷幸喜も、五十年後に「何であんなに人気があったんだろう」と言われそうな気がする。
 ミスキャストで思い出したが、これは立派な英単語である。しかし「ミスタッチ」というのは和製英語である。こないだ東大の授業でそれを教えようと思って「ミスタッチってあるでしょ」と学生の一人に訊いたら「え、知らないです」というから、あと二人くらい、優秀そうなのを選んで訊いたら、知らないというので頭を抱えた。これこそ、弁慶と牛若丸が五条大橋で戦ったというがあの当時橋に欄干はなかったんだよと教えようとしても弁慶と牛若丸の立ち回り自体を知らない、みたいな話である。多分もう既に「フランス革命を立派なことだと思っているかもしれないが実は悲惨なあれで」という話もできなくなっているのだろう。