愛国戦隊大日本

 製作当時、『アニメック』で、池田憲章の連載のパロディーとして書かれた文章で知ったとき以来、初めて現物を見た「愛国戦隊大日本」である。
 しかし時は流れた。もはや、右翼といえば反共という図式が成立しない。ロシヤはもはや社会主義国ではないし、佐藤優のようなロシヤのスパイの右翼も登場した。
 しかし蓑田胸喜に関心が集まったり、片山杜秀の本が出たりして、思うのは、
 「かっこいい右翼」
   VS
 「凡庸な保守派」
 という変な対立ができつつあることで、前者は要するに北一輝石原莞爾、蓑田、頭山満杉山茂丸などを論じ、小室直樹などを尊敬していたりする。後者は、新しい歴史教科書をつくる会とその周辺である。
 私の若い頃から、前者への崇敬の念のようなものはある程度あって、自民党なんかとは違う右翼があるんだ、という雰囲気があったが、松本健一などもその辺の先駆だろう。本格的には福田和也が前者を広めたわけだが、最近では後者を、まともな定義もなしに「ヘタレ保守」などと呼ぶ宮台だ。それじゃあ前者と後者はどこがどう決定的に違っているのかといえば、別に何もない。単に後者は大衆向けで、前者はインテリ向けだというだけで、天皇のことになると平然と差別主義者になるのに、ことフェミニズムになると異常な平等主義者になる宮台の言うことがしっちゃかめっちゃかなだけ。単に、前者のほうがかっこよさそう、という雰囲気の問題でしかない。単に自分はインテリだと思いたいだけの連中が群がっているだけ。あほらしい。

                                                                  • -

ひさびさの佐伯順子さんネタ。
http://osaka.yomiuri.co.jp/rakujyu/monthly/rm40206a.htm

夫婦と子どもを単位とした血縁の家族が中心になったのは近代の特徴で、それ以前の住まいには、奉公人さんや書生さんが同居していたり、商家であればお店と住まいが一体になっていたり、農村ではカイコを飼う場所があったり、生活と生業が一体になったような住まいがありました。私の母の田舎の家にも車夫さんが住む場所がありましたし。

 へえへえ、車夫さんねえ。要するにお金持ちの家だけのお話ってことで、よろしいでしょうか。奉公人のいないような貧しい農家では、夫婦と子供以外に誰がいたんでしょうか。カイコがいたんでしょうか。それで娘が馬と恋をするんでしょうか。