世界連邦において警察力の行使は戦争になる

 先日駒場へ行ったら、共産党のビラがあって「戦争でテロは止められない」とあった。じゃあどうやって止めるのかと思ってよく見たら「警察による逮捕と裁判」とあったので内心で苦笑した。オサマ・ビンラディン麻原彰晃のように簡単に逮捕できるなら戦争になんかなっていないよ。
 そもそも、反政府勢力の力が一定以上に大きければ、警察力の行使は戦争になる。日本でいえば西南戦争だ。かつて世界連邦構想というのがあったが、これはまさに日本国憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」できたものだ。仮に世界連邦ができたら、単に戦争が内戦と名を変えるだけであることは、現在では常識だと思っていたよ。世界連邦運動なんて、まだあることが驚きだ。

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 水谷尚子さんの新刊『中国を追われたウイグル人』(文春新書)は、『諸君!』に掲載されたものをもとに加筆したもので、水谷さんは今の日本で最も精力的に、ウイグルの民族運動のシナ政府による弾圧をレポートしている貴重な研究者だ。ところが、その「おわりに」にやや奇妙なことが書いてある。以下大意。
「私の書くものは「保守派」「愛国者」から受けがよいが、「敵の敵は味方」的な発想から「中国叩き」の材料に使われることが多いのを懸念している。ネット上でも「ウイグル人を救おう」などという運動をしている若者がいるが、民族問題の背景を理解せず、「正義」を主張しようとする姿勢が感じられる。日本の「進歩派」メディアは「日中記者交換協定」のために、中国政府に遠慮してそういうことを報道しないというのがネット上での定説になっている。しかし97年のイリ事件に関しては朝日新聞の清水勝彦記者が多くの記事を書いているし、『世界』に質の高い論考が載ったことがある」
 しかし、同書91ページで水谷さんは、日本のメディアは欧米に比べて、ウイグル地域のニュースについて、新華社通信の情報をそのまま流してしまう事例が少なくないと書いており、矛盾している。
 清水勝彦の記事は、『AERA』に、ウイグル人の東大院生トフティ・テュニヤズが、博士論文執筆中の帰国時、シナ政府にスパイ罪、国家転覆罪などで逮捕されたのを、指導教官・佐藤次高が救おうとしたというものとして、本文中でも扱われている。ただ、清水がほかにどの程度、ウイグル民族運動の弾圧を「朝日新聞」紙上で記事にしたのか、確認できていない。
 また「日中記者交換協定」については、はてなキーワードに書かれた文書に、元読売の記者が反論している。
http://www.21ccs.jp/china_watching/NewspaperCritique_TAKAI/Newspaper_critique_13.html
 しかしこの元記者氏が何に対して怒っているのか私にはよく分からないのである。現に日本のメディアは、シナの少数民族弾圧について、せいぜい「東大の院生が逮捕され、教授が救おうとしている」などという間接的なやり方でしか報道できないという厳然たる事実があるではないか。
 また水谷さんの「正義」云々についても、私は同意しない。なぜなら、水谷さん自身のレポートが、現在の日本ではウイグル民族運動弾圧についての重要な情報源であり、それを読んで「正義感」から言論活動をすることに何の問題があるのか。それらの若者に、最初からシナ憎しの念でもあるかのように「敵の敵は…」などと書くべきではあるまい。水谷さんは彼らを、シナの反日運動家に喩えているが、それはやめてほしかった。現に国連でもシナの少数民族弾圧や非民主的な体制は人権問題として扱われているのであり、60年以上前のことを蒸し返している反日団体と同日の談ではない。
 「左翼」出身の水谷さんの苦しい立場は分かるが、水谷さんの書くものが、『諸君!』や『SAPIO』に載っても、『論座』や『世界』に載らないのは厳然たる事実であって、もし水谷さんがオファーを受けているが断っているというなら話は別だが、それならそう書くべきだろう(し、それはないだろう。何しろ岩波新書からは、王柯『多民族国家中国』のような、漢民族中心主義を肯定するような恐ろしい本も出ているのだ)。 恐らくここには、前の本で『世界』について事実誤認の推定があって謝罪したことが尾を引いているのだろうし、欧米諸国では「左翼」が行っているシナの人権弾圧について、日本では『諸君!』などでしか書けない水谷さんの無念や苦悩もあるのだろう。それは分かるが、だからといって、「正義」感で動く若者たちに冷や水を浴びせるようなことは書いて欲しくなかったと思う。
 だがもちろん、水谷さんのレポートは貴重なもので、最近の『諸君!』ではいちばん意義のあるページだと思っている(笑)。迷惑かもしれないが、私は今後とも、水谷さんを応援するつもりである。健闘を願う。また、水谷さんのこの文章を読んだ若者たちにも、萎縮したり、水谷さんに悪意を抱いたりしないよう、呼びかけたい。
 (小谷野敦