谷崎潤一郎のように・・・

 辰野とともに『シラノ・ド・ベルジュラック』を訳した、東大仏文科教授・鈴木信太郎の『記憶の蜃気楼』(講談社文芸文庫)に付せられた年譜を見ると、大正5年のところで、鈴木が東京帝大仏文科に入学し、「両親は、息子が法学部でなく、文学部に入ったときいて、『谷崎潤一郎のようになっては大変だ』と急遽親族会議を開いたが後の祭」とあって、おかしい。なお谷崎の旧友である辰野が東大仏文助教授になるのはこれより五年あとである。谷崎先生、ばんざい。
 (小谷野敦