ざまぁー見ろ、と辰野隆

 出口裕弘の『辰野隆 日仏の円形劇場』も、谷崎伝を書くときに見落とした本だが、特に谷崎に関する新発見はない。それに、半分くらいは近代日仏関係史と著者の感懐で、あまり本格的辰野伝とはいえない。
 ところで、真珠湾攻撃マレー沖海戦の報を聞いて、辰野が「ざまぁー見ろ」と思った、と言ったとあって、出口は、辰野の、平和を願う他の発言と比較してあれこれ書いている。しかし、真珠湾とマレー沖に関しては、私だって、未だに「ざまあ見ろ」と思う。片やハワイの先住民を追い出して作られた軍港、片や帝国主義の親玉英国が侵略した東の端と言っていい土地である。そりゃざまー見ろだし、この二つは軍事施設、軍艦の攻撃で、民間人の無差別爆撃ではない。この発言から、辰野は好戦家か、などと考えるのはおかしい。それと、昭和初期の辰野は左がかっていた、と谷崎が書いているのに、それも検証されていない。
 それはそうと、この「ざまぁー見ろ」だが、出典不明である。もちろん、出口は書いている。「中央公論社、日本の歴史、太平洋戦争」と。そこで中公『日本の歴史 太平洋戦争』林茂著を見ると、確かに、長与善郎、亀井勝一郎斎藤茂吉と並んで、辰野の言が引かれているが、ここに出典がない。どうやら戦争中の発言らしいが、どうも学者としては、出典不明というのは、気にかかる。
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 ところで『白い巨塔』では、助教授の財前に対して、他から教授を連れてこようと反財前派が画策する。私の知る限り文系ではそういうことはなくて、助教授は必ず教授になるものだが、医学部ではそういうことがあるのだろうか。それとも、昔は医学部ではあったということか、今でもあるのか。誰か教えてください。
 (きっと博識な2ちゃんねるの方たちが教えてくれるでしょう。まだー?チンチン)
 (小谷野敦