久木尚志の父

 先般来追求している稀代の悪人・久木尚志だが、情報提供者によると、父親も大学教授だったという。高校時代は、そんなことはおくびにも出さなかった。さて、それは誰か。

[訃報]久木幸男さん 79歳 死去=横浜国立大名誉教授・日本教育史
2004.2.07 地方版/神奈川 
 久木幸男さん 79歳(ひさき・ゆきお=横浜国立大名誉教授・日本教育史専攻)5日、肺炎のため死去。葬儀は8日午前11時、横浜市港北区綱島西1の13の15の東照寺会館。自宅は同区新吉田町2028の78。喪主は長男尚志(ひさし)さん。

毎日新聞

 久木幸男は、教育学の世界ではかなりの大物である。大正13年生まれ、京都大学文学部哲学科〔昭和23年〕卒、京都大学大学院(旧制)前期課程修了。昭和25年西山短期大学助教授、39年教授、41年大谷大学文学部教授、42年横浜国立大学教育学部教授を経て、平成2年仏教大学教授。著書に「日本の宗教−民衆の宗教史」「20世紀の日本の教育」「講座 日本教育史」(全5巻)(共編)などがある。
 
 この経歴でみると、長男の尚志が生まれたのは幸男38歳の時、その頃は京都にあり、昭和42年、横浜へ移ったことになる。果たして、久木尚志は京都生まれ、高校時代の住所は横浜の港北区だった。
 久木幸男の著作は数多い。

日本の宗教 / 久木幸男-- 弘文堂, 1965 (フロンティア・ブックス)
大学寮と古代儒教 / 久木幸男-- サイマル出版会, 1968
日本の宗教・過去と現在 久木幸男 サイマル出版会, 1971 (日本双書)
20世紀日本の教育 / 久木幸男 -- サイマル出版会, 1975
日本教育論争史録 / 久木幸男 -- 第一法規出版, 1980.7
社会を見る眼 / 久木幸男 東本願寺出版部, 1981.11 (同朋選書)
弘法大師の教育 上下巻 / 久木幸男,小山田和夫 思文閣出版, 1984
日本古代学校の研究 / 久木幸男 玉川大学出版部, 1990.7
教育史の窓から / 久木幸男 第一法規出版, 1990.3
検証清沢満之批判 / 久木幸男 法蔵館, 1995.6
教育史の窓から 続 / 久木幸男 第一法規出版, 1995.3

 また大空社の「日本教育史基本文献・史料叢書」の監修も行っている。仏教系教育学史というのが正確なところだろうが、仮にも教育を専攻する者の息子が空前絶後ともいうべきいじめっ子だというのは、紺屋の白袴といおうか、いや端的にスキャンダルだろう。
 海城高校時代の教師、特に担任の場合は、久木が悪の帝王的いじめっ子であることも、その父が横浜国大教授の教育学者であることも知っていたはずだ。子供のしたことに親は責任がないという考え方もあるが、高校生がしていることに親は責任があるだろう。いったい父母面談で、担任は何と言っていたのだろう。いや実際、久木のために自殺しかけた生徒すらいたのである。
通俗的にいえば、あまりに偉大な父親をもったことが、尚志の精神を歪ませたのだということになろう。その当時、海城高校から東大へ進学する者は五、六人しかいなかった。久木は高校からの入学なので、要するに「不肖の息子」だったわけだ。
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 久木幸男編著『20世紀日本の教育』を少し読んでみたが、久木父は「左翼教育学者」であった。そして内藤朝雄が批判するとおり、悪いのは教師であり国であり、生徒ではないという立場をとっているようだ。このような教育学者の子にあの悪人が生まれたのも、むべなるかなと思わせる。
 (小谷野敦