松浦寿輝を追撃

 中村文則は二十代だし、ものごとがよく分かっていないのだろう。井口時男はどうもそんな悪辣な気がしない。いちばんたちが悪いのが松浦寿輝である。
 かつて『批評空間』の公開シンポジウムで、東浩紀が自著への松浦の書評に激怒して憤懣をぶちまけ、柄谷が「松浦なんか関係ない」となだめる一幕があった。東のその怒りがもとで鎌田哲哉とも喧嘩してしまったようなもので、しかし鎌田というのも、単著もないのになぜああでかい顔をしているのか、謎である。知里真志保の怒りについては藤本英夫『知里真志保の生涯』に詳しく書いてあって、鎌田は単によく論理の分からない文章でさらに激怒してみせたら、浅田彰が『VOICE』で「怒れる批評家の誕生」とかいって持ち上げたのでその気になったようだが、まあそれはいい。
 以前松浦が『文藝春秋』に随筆を書いていて、確か文春のベスト・エッセイ集『母のキャラメル』に入っている「心底驚いたこと」だと思うのだが、学生から、フランス語を読んでくれと言われて、みたらペッサリーの使用説明文だったという話で、印象深かったが、あとになって考えると、松浦はそんなことを教師に尋ねる学生の存在に心底怒っていて、おもしろがっている様子が少しもなく、それが意外だった。
 どうもこの人は「文学するロボット」のような印象を与える。いまこれこれこういうことをこう書けば評価されるということがデータとして入っていて、それで動いているようなのである。「花腐し」で芥川賞をとったのは2000年7月だが、ちょうど一年前に江藤淳が死んでいたのは幸いだった。蓮実重彦は師匠だし、福田和也は前年の『作家の値うち』で酷評した船戸与一が同時に直木賞をとって、時評をやらなくなっていく。『文学界』で『半島』の書評をしたのは同僚の工藤庸子。
 『半島』のあとがきには「小説作品には二種類あり、厳密にその二種類しかない。地名のある小説と、ない小説である。現実の地名が出てこない『半島』は・・・」と書いてある。そういえば『坊っちゃん』にも松山という地名はないのだったな。ああ、でも「四国」があるか、と思って『半島』を見ると、「S市は瀬戸内海に向かって南に突き出した小さな半島の先端にある」。「瀬戸内海」は地名ではないのか。「アメリカのアリゾナ州の広漠とした砂漠の」。これは地名ではないのか。「英国の」「アジアの」「日本の」「東京の」「ヴェトナム」「バンコク」「シンガポール」。地名、満載やないか。
 なんだか村上春樹に批判的なようだが、ここで「敵の敵は味方」というわけにはいかないのは当然だ。「敵の敵でも敵は敵」である。おお、名言かもしれない。チャーチルにとってのスターリンのようなものだな。ということは春樹はヒトラーか。
 『折口信夫論』で三島賞をとったとき、松浦は「文芸時評のようなものをやるつもりはない」と言っていた。しかしやっている。それどころか群像新人賞文学界新人賞の選考委員までやっている。何か根本的に人間としておかしい人ではないかと思う。