谷崎潤一郎詳細年譜(昭和32年まで)

jun-jun19652005-06-22

(写真は谷崎お気に入りの女優・若尾文子)

1956(昭和31)年         71
 1月、角川文庫より『武州公秘話』刊行、解説・伊藤整
 1月から12月まで、『淡交』に今東光お吟さま」連載。
 「あたらしき年の始めにうつくしき有馬稲子と相見しかなや」有馬稲子と会ったか。
   3日、歌会始召人として一首を奉るが出席はせず。
   14日、安田宛書簡、この度は中公から面倒なお願いお礼、当日は妻と行く、司会者は不要と思う。
   15日、新潮文庫より『乱菊物語』刊行、解説山本健吉
   22日、東宝乱菊物語』封切、谷口千吉監督、池部良八千草薫
   23日、新村宛書簡、信綱とは電話で話したが今年はまだ会わず云々。千萬子・たをり宛葉書、いつ来てもよし、迎えが必要なら言って。
 2月、河出文庫より『蓼喰ふ虫』刊行、解説・伊藤整。『キネマ旬報』で高峰と対談「ベストテン映画」。「谷崎潤一郎先生の映画談」淀川長治『映画の友』
   1日、市川三升死去(74)、十代目団十郎を追贈さる。
   6日、『週刊新潮』創刊(19日号)、「鴨東綺譚」第一回を掲載。挿画は田村孝之介(54)。
   10日、「幼少時代」最終回(『文藝春秋』3月号)。
   14日、「鴨東綺譚」二回目、市田やえが電話を掛けて、先生ひどいわと泣くが、谷崎夫妻に宥められる。
   21日、「鴨東綺譚」三回目、Hからやえに電話、連載をやめさせると言う。
   27日、熱海より長尾に電話、胡適の詩の訓読について質問。
   28日、「鴨東綺譚」四回目、この前後やえが上京、新潮社で続きの原稿を読み、訂正を申し入れる。Hおよび支那人同行。やえは、熱海で谷崎に会い、娘たちがかわいそうだと訴える。やくざのような者に脅される。六回で終了とする。やえは新潮社へ行き、それ以後の原稿を盗み出したという。
 3月、『文藝臨時増刊 谷崎潤一郎読本』刊行、座談会「谷崎文学の神髄」、伊藤司会、谷崎、武田、三島、十返。河出文庫より『痴人の愛』刊行、解説・十返肇
   3日、「鴨東綺譚著者の言葉」を記し、連載中断の断りをする。
   4日、「京都新聞」で今東光と智照尼が対談、「鴨東綺譚」に触れる。
   6日、「鴨東綺譚」五回目、橘宛書簡、先日は市田嬢の件でお礼、有田嬢には礼状出した、当人はかけちがって会えず、写真も貰った、目は手術して治せるなら治すよう忠告、淀川様に宜しく。長尾宛書簡、お礼。この詩は「鴨東綺譚」に出る。
   8日、Hの離婚調停の裁判で、やえも参考人として家裁に行く。
   10日、『中央公論』4月号に「嶋中鵬二氏に送る手紙」を掲載、『鍵』中断と再開の断り。今東光、母の納骨のためつばめで上京。
   11日、「京都新聞」に、「鴨東綺譚」のモデル穿鑿の記事。やえの公開状載る。
   12日、H、東光を追って上京、非難する。東光怒り、格闘になったともいう。
   13日、「鴨東綺譚」六回目をもって中断。
   17日、笹沼源吾五十回忌の浅草永見寺での法要に松子と出席、帝国ホテルでの会にも出る。
   20日、「『鴨東綺譚』をめぐるうわさ」という記事が『週刊新潮』に出る。
   21日、富久子宛書簡、久しぶりの手紙懐かしく、洋ちゃんの学校のことめでたし、○○ちゃんのことでお宅に迷惑及び恐縮、○○は私が○○○○を特別扱いしていると反感を抱いていた、帰洛は四月十日前後会って珍談聞かせる、豪華本源氏送る。
   25日、笹沼千代子宛葉書、登喜子ちゃん森村学園入学おめでとう、喜美ちゃんには今月は芝居見に行けないと伝言願う。
 同月、オフュルス『歴史は女で作られる』封切、淀川長治が勧めるので観るが、面白くなかったと伝えると淀川が怒ってしばらく絶交(淀川『映画となると話はどこからでも始まる』)
 4月、現代日本文学全集『谷崎潤一郎集(二)』を筑摩書房より、少年少女日本文学選集『谷崎潤一郎名作集』をあかね書房より刊行。角川文庫より『猫と庄造と二人のをんな』刊行、解説・野村尚吾。
   2日、高村光太郎死去(74)。
   3日、笹沼夫妻、千代子、東一、登喜子、喜美子、登美子、美代子、鹿島登代子、登志、長次、熱海へ訪問。
   10日頃帰洛か。「鍵」第二回を『中央公論』5月号に発表、12月まで連載。
   15日、下鴨よりサイデンステッカー宛書簡、手紙お礼、細雪英訳今年中完成とのこと嬉しいあまり勉強しすぎないよう、来月小瀧氏来る、六月初旬までこちらにいるので来ないか、英国での蓼食ふ蟲批評切り抜き返送する。根津清太郎死去(56)、森田紀三郎が看取る。春川ますみが激しく泣く。
   16日頃、『週刊朝日』4月29日号が「ワイセツと文学の間−−谷崎潤一郎氏の『鍵』をめぐって」を特集。
 5月、篠原治『菊がさね』に「序に代へる言葉」を寄せる。角川文庫より『青春物語』刊行、解説・十返肇
   10日、『鍵』の猥褻性が国会でも問題化されて、法務委員会で議論になり、神近市子が質問、世耕弘一は猥褻物頒布にならないかと発言。池田弥三郎「谷崎文学と源氏物語」『中央公論』6月号。久保宛、安井曽太郎表紙画集その他注文。
   11日、宗一郎夫妻、登代子、喜美子、京都訪問。
   15日、笹沼一家と京都観光、葵祭を見る。
   16日、邸で笹沼一家に井上八千代の地唄舞を見せる。板垣直子「エロ小説」、『日本経済新聞』夕刊。
   17日、笹沼一家、寝台車で帰京。
   21日、鹿島登代子宛書簡、この本長ちゃんにも上げるが長治の治の字はこれでいいか、ブウさん今年は七十の祝いのはずだが誕生日はいつだったか、この本は全六巻、出るたび送る(正しくは長次、誕生日は8月31日)
   26日、京劇代表団来日、梅蘭芳ら、副団長として欧陽予倩も来る。
 6月、河出文庫より『卍』刊行、解説・平野謙
   5日、新村宛書簡、先日は光来、京都のマンボウという語はオランダ語のマンプーからかご教示願う。
   6日、旅行中の志賀、里見、小津が来る。
   7日、長尾来訪、白川静(47)編『新修高等漢文』を持参、溥儀の弟溥儒東が七十の祝いに書いてくれた軸を読んでくれるよう頼む。恵美子は溥に習字を習っている。
   8日、伊吹とともに、天台院の東光を訪ね、岩田浅吉に会う。北久宝町の支那料理店で食事。東光のことを小説にする予定で、その後伊吹は一人東光を訪ねる。
   9日、長尾来訪、詩の訓を持参。
   16日、サイデン宛書簡、13日付手紙と米国新聞切り抜きお礼、今後の予定、一度お出で、英訳出版については嶋中と話願う。
   17日、熱海へか。「京都新聞」に「緑陰漫語−−京都に寄す」を掲載。
   20日頃、上京、二三日滞在か。
   21日、朝日新聞社沢野久雄(45)宛書簡、七月中旬に欧陽に東京で会いたいので伝言を頼む。
   24、5日、熱海へか。
 7月5日、秦豊吉死去(65)
   6日、伊吹、東光から聞いた分を整理して伊豆山へ送る。
   初旬、京劇「断橋」「秋江」「水滸伝」などを観る。
   その翌日、欧陽予倩と箱根ホテルで対談、朝日新聞社岡崎俊夫の司会通訳。
   8日、伊吹宛書簡、お礼、梅蘭芳ら来日久しぶりに旧友に会い多忙、本日もこれより上京。
   下旬、伊吹さらにノートを送る。
 8月、『あまカラ』に、辻嘉一との対談「味の東と西」。
   3日、伊吹宛葉書、ノートお礼。
   10日、『中央公論』9月号に、「三十年後の再会」として欧陽との対談。
   18日、世田谷区世田谷精二宛葉書、21日午後待っている夕飯はこちらで。
   24日、溝口健二死去(59)
   26日、文京区久堅町後藤末雄宛葉書、折角お揃いで関西お出かけの折り不在で残念、九月上旬熱海で待つ。
 9月5日、中京区丸太町佐々木祥雄宛葉書、四点拝受、吉井氏歌碑拓本を襖に張るのは当分見合せなので預けてあるもの全部送ってほしい。
   8日、ニューデリー、カーンマーケット、サバルワル宛英文書簡、25日付手紙お礼、二年前に手紙くれたそうだが受け取っていない。近ごろ血圧はいいがもう若くない、あなたの病気は何か、あまり飲み過ぎないように、来年日本へ来るなら楽しみ。(千萬子代筆?)   
   9日、東山区今熊野南日吉町ドナルド・キーン宛葉書、6日付手紙と狂言番付お礼、13日には家族四人で見に行く。
   14日、後藤宛葉書、17日は用事あるので24日に待つ、執筆があるので午後四時過ぎ願う。
   19日、たをり宛絵葉書、おてがみありがと、おじいちゃんとばあばは26日頃京都へ。
   20日頃、週刊新潮の川田喜久治による撮影か。四谷の宿。
   22日、長尾より松子宛書簡。
   23日、「玉鑾会」大槻能楽堂で奥村富久子、道成寺を披く。谷崎短歌を寄せる。梅若猶義地謡を務め和解なる。
   25日頃発売『週刊新潮』グラビア「お出かけ」に談話。
   26日頃、入洛か。
  この後か、野村尚吾、「サンデー毎日」に連載を頼みに来、承諾する。
 10月、大阪歌舞伎座で「お国と五平」上演、友右衛門(現雀右衛門)、鶴之助、延二郎、演出村山知義。『主婦と生活』に中河与一「探美の夜」の連載始まる。
   5日、下鴨より嶋中宛書簡、一昨日は電話で、なお預けてある今東光の原稿十二月号にでも載せてもらえないか、今度自分がサンデー毎日に書いて貴社から単行本になるものと関係あり今君の協力が必要なので(翌年2月号に「闘鶏」掲載)。また橋本関雪画集の件も先日橋本節弥の手紙送ったので頼む。
   6日、笹沼古稀祝、扇面に揮毫して贈る。出席はせず。
   10日、高橋義孝「俗物主義の功罪−−『鍵』の批評の批評を通じて」『中央公論』11月号。同号に中央公論新人賞深沢七郎(43)「楢山節考」掲載。
   12日、松子より長尾宛書簡。
   15日、角川文庫より『細雪』上巻刊行。
   16日、八王子市子安町滝井孝作(63)宛書簡、手紙拝見、お礼、来月中旬熱海へ行ってよく考えお願いする、意外に安価なもの。
   21日、長尾来訪、谷崎夫妻と食事。
   25日、嶋中が「東京新聞」の頼尊清隆(42)を連れてくる。
 11月、『過酸化マンガン水の夢』を中央公論社から刊行、棟方志功の板画。「欧陽予倩君の長詩」執筆。
   3日、新村出文化勲章受章。
   7日、「『月と狂言師』のこと」を『婦人公論』12月号に掲載。サバルワル宛英文タイプ書簡。千萬子打つか。
   12日、熱海へ。
   13日、熱海より後藤宛葉書、18日京都へ帰る、19日は空いているので電話くれ、京都の旅館教えて。
  この間か、深沢に丸尾と嶋中が付き添い、弟子入りを頼むため福田家で谷崎に会うが、機嫌悪く言いだせず。その後日劇の楽屋で丸尾に会い、深沢を弟子にするのは嫌だ、白鳥にでも頼めと言う。
   16日、ハトで帰洛か。(17日長尾訪問の時にいた)
   17日、長尾、最後の講義。
   19日、後藤来訪か。
   26日、下鴨より横須賀市船越町終平宛葉書、来月15日過ぎなら淡島千景との対談了解、十日前後熱海へ帰り二三日上京。
 12月、『鍵』を中央公論社から刊行、棟方板画。角川文庫より『吉野葛・芦刈』刊行、解説・野村尚吾。
   2日、「京都新聞」に「谷崎氏、京を去る」の記事。
   4日、同日付、ストラウスより書簡。
   6日、伊吹と天台院を訪ね、闘鶏を見物。
   8日、京都下鴨の邸を処分し関西での生活に終止符を打つ。潺湲亭は造作を変更しないという約束で日新電機が買い取り、今は石村亭という寮になっている。以後上洛の折は北白川の渡辺邸に滞在する。同日付サバルワルからの手紙。志賀からの手紙伊豆山へ回送、「過酸化マンガン水の夢」恵贈お礼、京都では鳥居本のご馳走お礼、『心』へ原稿貰いお礼(欧陽)、松緑梅幸で「赤西蠣太」をやる。
   10日頃、談話「二つの小説」を『文藝』1月号に掲載。同号で座談会「谷崎潤一郎論−−現代文学の官能描写について」伊藤、臼井、中島健蔵。『中央公論』1月号は、「さまざまな『鍵』論」特集として、臼井吉見「耽美趣味の限界」亀井勝一郎「痴人の死」十返「『思想』を徹底化する」伊藤「ゆすぶられる『良識』」を掲載。
   12日、熱海より滝井宛書簡、昨日は病気中とは知らず失礼、板製作は急がないので来春東京で面談相談。
   15日、角川文庫『細雪』中巻を刊行。
   17日、浦和市領家登代子宛書簡、二三日前東京でおじいちゃんおばあちゃんに会った具合悪いなら手術してしまいなさい、今度京都の家を処分。千萬子宛書簡、サバルワルへの返事(英語で)書いてくれ、内容は、承諾とも何とも答えていない、貴下の言うスマティ・ソルナカーとか、Marathi とか、何のことか分からない。ヨーロッパへ行きたい気はあるが一二年先でないと無理、ネールが偉いのは分かっているが会いたいとは思わない、来春貴下が来るのを楽しみにしている。こんな風に書いて一度見せてくれ。今日ちひさいバアバ(重子)が上京したのでたをりに羽子板を買って送るよう頼んだ、小瀧君がサンタクロースの帽子をくれたが千万ちゃんがかぶるほうがいいので別便で送った、「鍵」二冊送る、一冊はお母さんに。売れ行きよく中公はホクホク。
   19日、千萬子宛書簡、羽子板はまだ着かないか心配、クノップ社のストラウスから手紙が来ているので返事書いてすぐ出してくれ、恵美子に書かせてもいいが難しいので、内容は、来年夏は熱海にいるのでお出で、「鍵」送るがこの作品には自信がない、「ささめゆき」は東京宝塚劇場で二月にミュージカルとして上演、滞在中ご覧下されば。
   20日、伊吹宛葉書、写真と葉書お礼。サバルワル宛英文タイプ書簡、千萬子。谷崎作品をマラティ語に翻訳する話について。
   21日、松子より長尾宛書簡。鎌倉扇ガ谷の里見より『鍵』恵贈お礼の手紙。
   25日、精二宛葉書、珍味頂きお礼。
   27日、佐藤春夫より佐佐木信綱、里見、志賀、広津宛、芸術院会員に堀口大學を推す手紙。谷崎には出していない。
   30日、角川文庫『細雪』下巻を刊行、解説十返肇
 この年、世界性学全集第1 として、谷崎英男(34)訳ハヴロック・エリス『性の心理学的研究』河出書房より刊行。

1957(昭和32)年          72
 1月、コロンビア大学キーン宛年賀、現代日本文学選集頂戴、「鍵」は自信がないので上げる気にならない、秋の来日を待つ。
   4日、ラジオ朝日放送で午後四時十五分から三十分まで、谷崎、松子、東光の「新春よもやま話」放送。千萬子宛年賀、いつ熱海へ来るか待つ、今度は静浦ホテルへ行こうきれいな水族館がある。同日、佐藤春夫を名乗る者から新聞社へ谷崎急死の電話が入る。   6日、春琴堂書店久保宛、柳田「妖怪談義」、「世界風流全集」全巻、江戸ばなし三田村全巻など注文。一枝が来るなら二十日過ぎ。
   8日、常盤松の志賀葉書、とんだことで騒がせた、芝居は中旬頃四人で出掛けその日は泊まらず熱海へ帰るので二十日過頃また上京その際拝眉。
   10日頃、『文藝』2月号に中村光夫「『鍵』を論ず」。『中央公論』2月号に今東光「闘鶏」掲載。「欧陽予倩君の長詩」を『心』2月号に掲載。
   14日、棟方「鍵」挿画展、中央公論画廊にて開催。
   17日ごろ、上京して新橋演舞場を観るか。
   18日、『産経時事』夕刊に、円地・志賀と鼎談「新橋演舞場の「赤西蠣太」を見て」。創元社小林茂宛葉書、「歌舞伎名作選」ないものがあるので送ってほしい。 
   19日、勝見宛書簡、15日手紙拝見、病気とは知らず失礼、生活の様子など分かった、三月中旬前と五月の後は熱海にいるのでお出かけを、ご著作ゲラを見せてもらい序文を書く、幼少時代も二月にできたら送る。
   21日、今東光、『お吟さま』で直木賞受賞。滝井宛書簡、先日は失礼、その際話した爐について、寸法。
   22日、『東京新聞』に石川達三が「自由の敵」を書き、『鍵』を「不潔な非藝術」と論難。
   26日、滝井宛書簡、熱海は時々留守にするので確認してお出で、コタツ板のこと、藝術院今年はダメでしたがいずれ。千萬子宛書簡、たをりは元気にしている。スキーのこと高折の両親が心配するのでたをりを連れていくのはやめた。清治が出張中君一人は不用心なので女中を一人雇うよう、松子重子同意見、費用はこちらで何とでもする。
   29日、新村宛書簡、関東は雨降らず乾燥して皆喉をやられている、信綱など肺炎で長く病臥。三月中旬は橋本関雪十三回忌で京都入りする。
 2月、東京創元社より『蓼食ふ虫・卍』刊行、解説・丹羽文雄。同じく『谷崎潤一郎短篇集』、解説・辰野隆河出文庫より『猫と庄造と二人のをんな』刊行、解説・高橋義孝
   4日、佐藤春夫を騙る電話が各新聞社に掛かり、谷崎が脳出血で急死したと言う。
   5日、深夜一時から日劇ミュージックホールで開かれた『楢山節考』出版記念会に出席、丸尾の司会、伊藤、武田、三島の挨拶、白鳥の祝辞、深沢七郎ギター独奏の後ストリップショウ。
   10日、『中央公論』3月号に林健太郎「谷崎文学の魅力」、『新潮』に福田恆存「『鍵』と石川達三」。
   14日、帝国ホテルに宿泊。
   15日、午後笹沼家を訪ね、帝国ホテルへ帰る。
   16日、東横ホールで菊五郎劇団を観る。左団次、福助(現芝翫)の累、松子、重子後から来る、昼の部は「車引」「寺子屋」、夕食は銀座、熱海へ帰る。
   18日、喜美子宛葉書、先日は電話通じず云々、あんなに簡単に行けるならこれから時々与野へ行く。
   20日、千萬子宛書簡、近々たをりに会えるのが楽しみ、この前熱海に来たとき「おじいちゃん」と言って駆け降りて手をとられた時ゾウッと嬉しさがこみ上げた、百々子には感じなかった、たをりのお蔭で老後を慰められている。帝国ホテルは先日試験的に泊まってみたら夜中に暖房を落として風邪をひいたからやはり福田家、スキーは君に押し切られた、君は老人たちに反感をかうので注意なさい、僕には何を言っても構わない、江戸川乱歩『犯罪幻想』限定版を送る。吉井のところへ代理で見舞いに行ってくれ。
   24日、渡辺一家、志賀高原へ。
   25日、福田家で勝見と体面。長野県下高井郡山内町志賀高原ホテルより、たをり・千萬子書簡、つららをみたわよ。
   27日、志賀高原清治・たをり宛書簡、たをりちゃん昨夜は電話ありがとう、スキーは巧く滑れますか。
   28日、井上八千代、堀口大學ら藝術院会員に選ばれる。八千代を選ぶに当たって谷崎尽力したか。
 3月、『幼少時代』を文藝春秋新社より刊行、装幀装画鏑木清方
   2日、吉井宛書簡、先月入院していた退院の祝いと、君は出歩きすぎるから一か所に転地療養してはどうか、土屋の別荘を頼んでみる。
   7日、八尾市天台院今東光宛書簡、拝復、ヘンリー夫人がアルゼンチンで死んだこと、ヘンリーとの間に娘がいたことも初耳、横浜時代彼女が君を好いていたのは知っていたがそれより前に花柳が好きだった、花柳は私に遠慮したわけだ呵々。澤田にはあれからまた会った。今明恵上人の夢日記を探している、いずれ尋ねるかもしれない。
   15日、千萬子宛書簡、たをりは元気、イタリアのギロンコリ夫人から手紙が来たので返事書いてもらうが英語の字が読みにくく困っている。
   16日、台東区浅草山谷島村力宛書簡、先般来調べ物お礼、しかし執筆計画は断念、謝礼同封。いずれ浅草案内頼む。
   20日大映朱雀門』原作川口松太郎『皇女和の宮』、監督森一生、和の宮役若尾文子封切、観るが感心せず。
   21日、志賀宛書簡、注意お礼、まだ実行していないのでご安心を。血圧の話。千萬子宛書簡、長い手紙だが英訳してギロンコリへ送ってくれ、内容は、米国にはあまり行きたくない行くなら欧州、英国イタリアがいい。その時はフィレンツェのお宅も訪ねる。九月頃英訳細雪出る、米国で映画もできる。
   24日、千萬子から電報、クノップの綴りを訊ねる。清治来る。
   25日、佐々木墨彩堂宛葉書、来る4月4日から7日までに吉井石摺の張り込み頼み、屏風修理も頼みたい。千萬子書簡、クノップ社の綴り、家の工事捗らずいらいら、二世紹介からやっと五千円受け取る。千萬子宛葉書、Knopf です。
   26日、千萬子宛葉書、二世堂の金取れたら預かっておいて。
 4月1日、墨彩堂宛葉書、6日待っているが泊まるか一人か。
   3日、小林古径死去(75)。この日10時15分から30分、日本テレビで恵美子(28)が雪子役で出演の『細雪』第一回、全13回(水曜)、西村みゆき(27)脚本、武智演出、幸子・万代峰子、鶴子・坪内詠美子、妙子・浜田洋子。
   4日、ユキを連れて熱海銀座を散歩、それから錦が浦までドライブ。(「老後の春」)
   6日、墨彩堂来訪、吉井の歌碑の拓本を襖に張り込む。
   7日、日曜、桜満開、高畠達四郎(63)一家を招いて宴。
   8日、重子、たをり、ハトで京都へ。伊吹宛書簡、11日入洛、河内の仕事手伝い頼む。久保宛、歌舞伎衣裳と扮装、老子の講義、大阪と神戸全巻など、北白川へ。
   9日、たをり(5)の幼稚園の入園式。
   10日、『細雪』第二回。志賀より絵葉書、「幼少時代」拝受読んでいる。孫連れの旅面白く竹生島、都踊り、帰ったら疲れが出た。
   11日、松子と京都へ。
   12日、松子重子千萬子たをりと都おどりを見る。井上八千代に会う。吉初へ行くと女将が迎える。
   14日、橋本関雪十三回忌。大津の瑞米山月心寺。橋本節哉の紹介で十九代式守伊之助に会う。金島桂華(66)とお茶。吉井来る。
   15日、重子千萬子たをり、キクと平安神宮に。
   17日、『細雪』第三回。
   18日、南座へ松子と文楽公演夜の部に、中将姫雪攻め南部太夫寺子屋は三味線四代鶴沢清六(69)、千代吉田文五郎(89)。
   19日、『細雪』の撮影で、武智、万代、恵美子ら入洛。平安神宮の撮影に松子行く、午後九時頃から祇園一力で井上流の春勇が袖香炉を舞うというので谷崎も行く、十二時過ぎて谷崎と重子は帰ったが松子は恵美子に付き添って麸屋町柊家に泊まる。
 菅楯彦から例年の天神祭を今年はとりやめるとの手紙、熱海から回送さる。雨続く。
   24日、『細雪』第四回。
   25日、東光、松子と菅楯彦訪問。
   29日、伊吹宛書簡、その後今には大阪で会ったが仕事が順々に遅れている、河内のことは秋でなければ書けない、ところで国歌大観が手元にないので万葉のこの歌のこと調べてくれ。
 5月、「老後の春」執筆。談話「私の好きな六つの顔」を写真付きで『中央公論』臨時増刊号に掲載。杉田弘子、淡路恵子若尾文子有馬稲子春川ますみ祇園の藝妓子花の六人。『中央公論文芸特集』に棟方志功との対談「板画の道」。『小説新潮』に舟橋聖一「『鍵』を読む夏子」発表。
   1日、『細雪』第五回。
   5日から25日、歌舞伎座で『源氏物語』再演、海老蔵梅幸。6月も続演。
   8日、『細雪』第六回。
   談話「伊豆山にて」を『心』6月号に掲載。
   15日、『細雪』第七回。
   17日、学士院の会合で上京した新村出、帰り際にデコちゃんを訪ねるが留守なので名刺を置いて帰る。
   22日、『細雪』第八回。
   29日、千代子とストリップを見に行く。日劇の「そよ風さんお耳を掻いて頂戴」か。『細雪』第九回。
   末、伊吹、八尾天台院を訪問、熱海に報告。
 6月、勝見豊次『雑談明治』に序を書く。
   2日、第一ホテル土屋宛書簡、先日は突然お邪魔して失礼、さて吉井勇の件考えて下さい寒い間だけでいいし今年だけでもいい。伊吹宛書簡、そろそろ河内の小説を書くが中河内の夏の行事で見ておいた方がいいものを今に訊いてくれ。
   3日、後藤宛葉書、無沙汰見舞い。千萬子たをり宛書簡、熱海はものが不味くて閉口、入梅時分にはたをり連れてきてくれ、「あらくれ」はデコちゃんの失敗作、「素直な悪女」と「枯葉」は感心、特に悪女のブリギッテ・バルドーの姿態は僕向き、二度観た。最近君に負けないように英語の勉強再開、オニールの「Moon for the Misbegotten」を読んでいるが難しい、戯曲を書こうと思っている、ピアノは手配する。たをりちゃん、舞やピアノを勉強して驚かせてください。
   5日、『細雪』第十回。
   8日、土屋宛書簡、返事お礼吉井には早速知らせる。
   9日、松子より長尾宛書簡。
   10日、「老後の春」を『中央公論』7月号に掲載。千萬子宛書簡、ピアノは松本さんに頼んで白いのを探している。二階の窓はたをりが落ちると心配なので手すりを。その他家の造作について。関口俊吾筆裸婦像を架けたい。棟方のバラと安井曽太郎のもの、池大雅のを中公から送らせる。今東光をモデルにした中河内の小説を書くので二三日大阪へ行くついでにたをりを見に行くかもしれないがたをりには内緒。
   12日、『細雪』第十一回。
   13日、墨彩堂宛葉書、返事ないところを見ると忙しいか。内山完造よりこの日付でシナ訪問の誘いの手紙。
   15日、千萬子宛書簡、ピアノは白ではないがいいのが見つかった今月末そちらへ到着、テープレコーダーが欲しければお金送る。今月末か来月初旬に大阪へ。上京福田家で、伊吹到着を待って水海道の取材のつもりでいたが、伊吹が着いてみると、東光自身が「週刊朝日」に書いているのでやめにした、と高峰秀子の家へ行く。
   16日、京橋のテアトル銀座で伊吹と「ピカソ天才の秘密」を観る。
   19日、千萬子宛書簡、手紙拝見、絵は発送、いちいち返事無用。『細雪』第12回。   21日、内山宛書簡、心苦しいがシナ訪問は健康が許さず、また国交回復の後にしたい。なお水滸伝版画集が出たそうで見たいが知らないか。
   23日、千萬子宛書簡、近日上洛、三十万振り込んだ、小遣い。
   25日、千萬子宛書簡、27日のハトで行く、ユキと二人、大阪の仕事は都合で延期、たをりを見るために出掛ける、八千代には会う、29日夜清治一緒にアラスカ予定。『細雪』最終回。
   27日、上洛か。
   30日、渡辺一家とアラスカで食事。 
 7月、『歌々板画巻』棟方志功板を宝文館より刊行。『解釈と鑑賞』が「特集谷崎潤一郎 作家論と作品論」。
   1日、松子宛書簡、昨日のこと、映画は『間違えられた男』『禁男の砂』『地獄花』を見た。明日の予定。(八木)
   2日、勝見宛書簡、ご高著お礼、清方には近々会うので話しておくが一冊送ってくれれば渡しておく。後藤、笹沼にも献じてはどうか。渡辺一家と嵯峨へか。
   6日、熱海へか。千萬子宛葉書、帰着、奥村さんに送る揮毫を別送した。
   16日、千萬子宛書簡、たをりに会うのが楽しみ、北海道行きはどうなったか、八洲子嬢今度は入れた由。
   17日、遠州浜岡町で『喜びも悲しみも幾年月』撮影中の高峰(松山)秀子から松子宛手紙。
   20日、墨彩堂宛書簡、屏風の貼り雑ぜのこと。安田書簡は短いので菅楯彦も入れて、九月上旬までに。永井書簡の軸は長すぎて失敗、いずれやり直し頼む。
   24日、千萬子宛書簡、誕生日の手紙お礼、29日は駅へ迎えに行く、日光行きは8月10日前、15日以前に熱海帰り。
   25日、墨彩堂宛葉書、貼り雑ぜ材料多すぎたら私の肖像画はやめにして。
   26、7日頃、吉井来訪、襖を見て喜ぶ。
 8月1日、松子の墨彩堂宛書簡、先日は遠方をお出でお礼、四五日前吉井も来て喜んでいた、水蜜桃のお礼。
   7日、千萬子らと日光へ出立。
   10日、「親不孝の思ひ出」を『中央公論』9・10月号に連載。墨彩堂宛葉書、13日から20日までに来てくれ、来るとき北白川に置いてある棟方軸持ってきてくれ。笹沼宅訪問。
   11日、午後、松子恵美子千萬子たをりと日光から塩原へ。笹沼別荘で休み、明賀家に入る。重子も来る。写真あり。(宮本家?)
   12日、車で妙雲寺、逆杉、八幡様などへ。
   13日、皆で潮ノ湯、紅葉ケ丘公演。
   14日、笹沼別荘、夕方車で東京へ。
   18日、精二宛葉書、明日から22日頃まで家族全員不在になるので次の機会に。塩原温泉塩釜笹沼別荘喜代子宛書簡、先日は大勢で厄介になり、千萬子とたをりは今日京都へ帰った松子と恵美子は今日上京一泊して軽井沢へ。家には重子だけ。暑くて仕事ができないから妻の留守に一番美人の女中を連れて東京で映画でも観てこようかと。宮本のおばあさんのために和歌二首短冊に書いて送るので上げてくれ。
   19日、重子と上京か。
   20日頃、松子、恵美子軽井沢へ。
   23日、精二宛葉書、26日在宅故お出で。
   26日、精二来訪か。
 9月1日、嶋中、荷風潤一郎作品刊行室責任者となる。
   2日、橘宛書簡、手紙お礼、「羹」お礼忘れて失礼、田中栄三から電話、著書に序文をとのことでゲラ、十日くらいまでに二人で来ないか、淀川さんによろしく。
   4日、千萬子宛書簡、ボリショイバレエは皮膚病で欠席した、テレビで観たが感心しない、映画では「翼よあれが巴里の灯だ」傑作、是非ご覧。インカ帝国の「太陽の国」がいいそうだが観ていない。たをりちゃん、バンビの人形気に入りましたか云々。
   5日、京都から清治来るか。
   6日、たをり宛書簡、手紙お礼、おじいちゃんは早めに京都へ行って本を読んであげる、ママは忙しい、英語フランス語、読書編み物、園芸、だからママの代わりをしてたをりやマリの相手をしてあげる。パパは明日ハトで帰る。
   8日、嶋中宛葉書、キーンから序文を書いてくれと言ってきたのでゲラ見せてくれ。
   9日、千萬子宛葉書、板画巻八冊別便で送る。
   12日、千萬子宛書簡、15日頃そちらへキクを連れて。十月一日祇園の温習会があるのでそれまでいる。何か土産で欲しいものないか。上京(11日付松子の長尾宛書簡)
   13日、千萬子書簡、入れ違いかもしれないので速達。
   14日、千萬子宛書簡、16日ハトで行く。たをりとマリに人形の寝台送った。滝井宛葉書、炬燵やぐら飛騨から出来てきた、本日取り付けた。
  Edward Seidensticker訳Makioka Sisters,Knopf から刊行。
   16日、京都へ。
   18日、松子宛書簡、渡辺家戸籍のことか。
   19日、北白川からサイデン宛書簡、ストラウスからマキオカシスターズ出来て発送したと連絡早く見たい。来月中旬までには熱海へ帰りいずれお礼言う。鳴沢の重子宛書簡、戸籍について両人に訊ねると重子養子のつもりだと言う、書類に不備があるか今度東京で弁護士に訊く。さて清治千萬子は重子の老後のため養子にしたが千萬子のああいう性格ゆえあなたに不快を感じさせてはいけないがたをりが生まれかわいいので自然二人に甘くなる、何とか反省させたい。
   21日、佐賀市から高峰秀子の松子宛書簡。「張込み」の撮影か。
 10月、田中栄三『新劇その昔』に序を書く。ドナルド・キーン『碧い眼の太郎冠者』に序を書く。世界性学全集第14として、谷崎英男訳イヴァン・ブロッホ『性愛の科学』河出書房新社より刊行。
   1日、稲垣浩監督『太夫さんより 女体は哀しく』封切、乙羽信子淡路恵子。新京極大映で松子と二人で見て淡路の演技に感心する。『喜びも悲しみも幾年月』封切。
   初旬、松子感冒で半月ほど寝込む。
   10日、『中央公論』11月号で、「親不孝の思ひ出」中断のおわびを書く。本来もっと書くつもりだったがあちこりに差し障りが出てきそうなのでやめる。
   19日、サイデン宛書簡、まだ京都だが寒くなってきたので二三日中に熱海へ。マキオカ全部読んでいないが装幀はよし、蓼食ふ蟲よりよいように思う。
   21、2日頃、熱海へか。
   30日、上京。
   31日、千萬子宛書簡、昨日東京でハンドバッグ見たが分からない、19日に志賀令嬢結婚式あるので17日は無理、四日のカラヤンの切符入手。
 11月2日から26日、歌舞伎座夜の部で、宇野信夫脚色・演出の『盲目物語』上演、勘三郎歌右衛門。同月、武智の脚色・演出による東をどり「母を恋ふる記」新橋演舞場で上演。
 同月、ミス『婦人公論』募集、審査員は谷崎、芥川比呂志石原慎太郎大宅壮一成瀬巳喜男、丸尾。
   3日、久保田万太郎、西山翠嶂文化勲章受章。笹沼源之助藍綬褒章受章。
   7日、歌舞伎座夜の部『盲目物語』、木村富子原作『黒塚』を一家で観に行く。喜代子、喜美子、千代子、福田家まで送ってもらう。
   8日、熱海より新宿区下落合舟橋宛葉書、先日は電話お礼、高著二冊と相撲の本二冊福田屋より受け取った相撲の本暫く借りる。
   12日、新橋演舞場の秋の東をどり夜の部『母を恋ふる記』に喜代子、喜美子、千代子を招待するが、千代子は東一の病気で欠席。
   16日、サイデン宛書簡、御無沙汰失礼、今月は上京多く多忙、来月上旬頃会いたい、ストラウスから新聞批評切り抜き送ってきて、十月十三日ヘラルド・トリビューンのは酷評、自身冗長だとは思っているが、翻訳が悪いのではというのはあなたに気の毒。
   19日、志賀の娘の結婚式。
   22日、神田小川町額田病院内岸伊佐子宛書簡、あなたは新京から東京へ来て初めて私に会ったと言いますが私はあなたが生まれた時に見ています、巖君が伊佐子というのをいい名前だろうと言っていた、亡きご両親には思い出多く、来月でも、弟君に記憶はないが、谷口さん同道で熱海へどうぞ。「樺太へ往きたがる人々」はもう一つ複写があったので送る。
   26日、帝国ホテルでの笹沼藍綬褒章の祝賀会に出席。君島、犬丸一郎ら。
   末、「週刊読売」12月8日号で、市田やえと読売新聞論説委員高木健夫の対談。
 12月、中河与一『探美の夜』(講談社)刊行。
   9日、千萬子宛書簡、短歌五首。武智鉄二が訪れ、西村みゆきと別れ川口秀子と結婚するについて西村との調停を松子に頼む。
   10日、『谷崎潤一郎全集』(新書版)全三十巻を中央公論社から刊行(34年7月完結)、解説伊藤整。第一回配本、朝日新聞に戦後初の一面広告。『中央公論』新年号で伊藤整と対談「谷崎文学の底流」。『文藝春秋』新年号で東光と師弟対談。
   14日、千萬子宛書簡、手紙お礼、暮にたをり正月に君が来るので楽しみ、志賀高原で風邪を引かないよう、君の歌をたくさん作るつもり。
   15日、千代子と日劇ミュージックホールの「シスター・ボーイ」を観る。正しくは「メケメケよろめけ」。福田家で食事。
   18日、千代子を東横ホールの若手歌舞伎に招待、一緒に観るか。千萬子宛書簡、笹沼の婦人らを昨日日劇へ。三人に見てもらってハンドバッグ発送。
   21日、池田市綾羽町西田秀生宛葉書、贈り物お礼、棟方との合著送る。
 同月、「明治回顧」執筆。