関西学院大学の闇

 李建志君は、私の後輩である。中央大学を出て東大比較に来た。在日である。ちょうど私が阪大へ赴任する時に修士課程を終えたのだが、私と、つくば国際大学に就職する加藤百合さんの歓送会が平川先生宅であって、その時李君が、「日本の文化なんてのはみんな朝鮮から来たんですよ」とべらべらしゃべっていて、みな「?」と思いつつ、黙っていたということがあった。
 その後、京都ノートルダム女子大学へ赴任したが、いつもジーパンを履いていて、何だか駅前のバンドで演奏でもしているような風体で、もてないもてないと言っていた。
 2005年3月、東大の大澤吉博教授が急死した葬儀の時で、帰りに延広先生と三人で食事をして、李君が落語に詳しいことを知った。私はそのころ、川柳川柳が好きだったのだが、「ガーコン」といえば川柳で、しかし李君は、古今亭右朝もやる、と言った。へえと思って、しかし右朝が先にやったと聞き違えて、その頃『文學界』に連載していたエッセイで、落語について書いた時、「右朝が先にやったと李建志君から聞いた。違っていたら李君の責任である」と書いた。するとほどなく、右朝もやりますが先ではないですと指摘があったから、李君にメールすると、「僕は右朝もやると言っただけですが」と返事が来て、あわてて次回で訂正を出した。
 だが李君はかなり根にもって、「どうせ何何は李建志君の責任であるって書くんでしょう」などと引き続いて言っていたから、私は怖くなった。
 その後李君は『「朝鮮近代文学ナショナリズム 「抵抗のナショナリズム」批判」』『日韓ナショナリズムの解体 「複数のアイデンティティ」を生きる思想」といった本を出した。私にも送ってはくれたが、朝鮮近代文学を私はまったく読んでいなかったし、こういう政治的怒りの本は好きではなかったから、ちゃんとは読まなかった。だがどちらかに、小森陽一の研究会に出ていて、その弟子から「在日はいいよなあ」などと言われ、小森が笑いながら「それは言っちゃダメだよ」と言ったことを告発しているところがあり、これは印象に残って、それを書いたのだが、また書名を間違えたのである。
 李君は日本で生まれ育った在日である。子供のころ姓が変わるとかいろいろあったらしいが、だいたい小森のところなんか出入りするのが間違いだし、研究は研究でやってほしいと私は思っていた。
 その後、松田優作がやった『探偵物語』に関する本も送られてきたが、私は『探偵物語』を観たことがなく、DVDで第一話だけ観たが、好みではなかったし、私は松田優作が好きではなかったから、やはりほとんど読まなかった。
 そのうち彼は関西学院大学の教授になった。私立とはいえ、41歳で教授は早いほうだ。しかし考えてみると、その間に私にもいろいろあったのだが、彼とメールのやりとりをして、彼がそれに触れたことはないように思う。
 先日、その李君がツイッターにいるのを、エゴサーチしていて発見し、フォローした。だがフォロー返しはなかった。見るとフォローしているのは「復興書店」だけだ。そして彼は次々と、妙なことをツイートし始めた。ツイッターを始めたのは文章の練習のためだ、と言い、「僕を見つけてフォローする人が現れるという意想外の事態になったからそのうちやめるね」と誰にともなく言う。小保方晴子が会見をする前だったのだが、弱っている人を追及するってのは嫌だなあと言い、「首くくりの足を引っ張るってぇ言葉がある。こういうなぁ、どうも江戸っ子としては好きになれねぇな。野暮だぜ。しかるべき筋からコメントを求められりゃ、そりゃそれなりの返事をするけど、そうじゃねぇんだったらこれ以上の罵声をあびせる必要はねぇだろうよ。おいらがいいてぇのなぁそういうこった。」と言うのだが、在日の江戸っ子…。
 するうち韓国の旅客船転覆事故が起こり、韓国人が、自国は三流国家だ、キムチスタンだと言いだした。すると彼は、中央アジアに対する差別だ、僕はこれと闘ってきた、と言う。私が質問したのだが、現在の韓国は日本と緊張関係にあり、キムチスタンに焦点を当てる彼がいぶかしく思えた。すると突然、「韓国は中央アジアに対してのみオリエンタリズムがある、と関西学院大学の李建志が言っていた、なんて言わないでくださいね。ほかにもオリエンタリズムはあります。前に落語で一度やられているので、老婆心まで」と言いだしたから、まだ根に持っているのか、と仰天した。「まだ根に持っているのか」と私がリプすると、それらのツイートは消した。
 直後に李君は、昨年、大学の同僚に十三発殴られたということを言い出した(「殴り合い」ではない)。私は、その後遺症で誰も信じられなくなっているのだろうと思った。李君は警察に届けたが、双方弁護士を立てて示談にしたということだった。私がそれらをRTすると、何人もフォローした。盛田隆二さんは、李君にあてて、「その教授は大学から処分を受けたのですか」と訊いたのだが、李君は、「ツイッターをやってて気づいたこと。どうも「個人攻撃」になりそうな話題には「すわ、祭りだ」といわんばかりに飛びつく連中が目に余る。そのくせ理性的な内容にはだいたい無反応。僕が一番嫌いなのは、ひとの尻馬に乗って個人攻撃するこういう下司だ。ダニと付き合ってる暇はない。我が道を行くぞ。」などと書いたのだが、これはひどい。盛田さんによると、2ちゃんねるの連中のことを言っているのだろうというのだが、これは盛田さんや私を下司呼ばわりしているに等しい。なお言っておくが、言葉であれ暴力であれ、「攻撃を受けた」ということを、相手の名を隠して言うのは卑怯である。
 さて、その同僚というのは、関西学院大社会学部教授の、金明秀という男だろうと目星をつけた。これは朝鮮学校から来た北朝鮮のスパイのような男で、調べるとざくざく悪名があがってくる。金明秀にもツイッターがあって、「在日同士の争いに乗じるのは搾取だ」などとわけのわからないことを言っていた。
 私は、関西学院大学に電話してみた。はじめ社会学部に電話したら、事務の男が出て、えー先生がたはただいま会議中で、と言う。事務長も出ているはずで、私は、ツイッター上で言っているのだから公開されているわけですよと言い、また連絡すると言って切った。翌日、今度は広報に電話したら、いや知りませんと言うからまた同じことを言って、切った。
 さて二週間くらいたって、李君が、殴られたことを年長の教授に話したら、
 「君のほうにも殴られるような理由があったんじゃないか」
 と言われた、と書いていたので、もういっぺん関学社会学部へ電話したら、まあ58歳くらいのでぶっとした悪人を想像させる声のおじさんが(と書くとき自分もおじさんであることを忘れているのだが)、また「分かる人は席をはずしておりまして」と言うから、あなたは何も訊いていないのかと糺したら、
 「まーそれは、双方弁護士を立てて示談にしたということで」
 と言うから、大学として、そんな他人に暴力をふるうような教授に何の処分もしないのかと訊くと、
 「いやープライベートなことですから」
 と言う。いや暴力ふるって警察ざたになったら、文科省の認可を受けている大学として社会的責任があるだろうと追及した。すると、
 「あなた様はそれ、どういうあれで、そういうことを聞かれるんですか」
 などと言う。さらに広報にかけたら、こちらもまあだいたい似た感じで、
 「プライベートなことですから」と言いつつ、ツイッターに関しては、
 「ああ、同姓同名の人がそういうことを書いているのは確認しました」
 「本人に訊かないんですか」
 「まあプライバシーもありますから」
 「だって公開されてるじゃないですか」
 「いやまあ、同姓同名の方が」
 「さっきプライバシーって言ったじゃないか。あれか、関西学院大学は臭いものに蓋、知らぬ存ぜぬで通すってことか」
 「ははあ」
 「私これ、書きますよ」
 「まあそれはそちらさんのご勝手ということで」
 念のため、李君には直メして訊いてみたが返事はなかった。また金明秀にも@で訊いてみたが、返事は今のところないので、断定して良かろうと思った。
 関西学院大学社会学部長は荻野昌弘という社会学者だが、宮原浩二郎というのも学部長とウェブサイトに書いてある。だがこれは2010年更新とあるから、前の学部長だろう。ずさんなウェブ管理である。さてこの荻野は『開発空間の暴力 いじめ自殺を生む風景』などという近著を出しているが、この社会学部事務および広報の対応は、荻野も承知してのことと考えるほかない。今さら、いじめがどうのと書く学者が、自分の足元で暴力事件が起きていてもことなかれですます、くらいのことでは驚かないけれどな。
小谷野敦