司馬遼太郎産業

 文藝家協会ニュースに、谷沢永一のお詫び文が載っていた。『運を引き寄せる十の心得』(ベスト新書)の最後のほうの「司馬遼太郎に後事を託された」という一節が、福田みどり上村洋行の名誉を傷つけたと両者から抗議があり、弁護士を入れて協議した結果、ここにお詫び文を出すことと、増刷ではその箇所を削ることで決着したという。
 私は現物を持っているから見てみたが、なるほど両氏の悪口が書いてある。司馬遼太郎著作権をめぐるものである。
 しかし、今の日本には「司馬遼太郎産業」とでもいうべきものがあって、司馬の人気にあやかって、売れる本を作ろうとする人々がいる。ただ、既に名のある人がそれをやるのは、みっともない。関川夏央などそのみっともないの最たるもので、それで司馬遼太郎賞を貰っているだから、何ともはや、である。
 英語圏の文学研究の世界では、シェイクスピア・インダストリーというものがある。それに比べても、十年前まで生きていた作家のおこぼれに与ろうというのは、何かみみっちい話である。

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http://d.hatena.ne.jp/kurimusi/20080428
このような疑問を呈された。
 私は英語教師でもある。東大非常勤講師ということになっているが、非常勤講師にも序列があって、文学部とか、教養学部後期課程、あるいは大学院の非常勤講師ではないから、いわば下級非常勤講師である。まあそれはいいとして・・・。

http://tadoku.org/
 この人の本であるが、精読主義の行方先生がなぜそのような本を推薦するのか、尋ねてみた。別に酒井という人を知っているわけではないという。分かったのは、やはり行方先生は英語が得意で、好きなのだということである。ただ主意は、精読のやり方をマスターした上での多読、ということで、あげたそうだが、詳しく酒井の主張を説明すると、それは自分とは考えが違うようだ、とのことだった。
 そうでない人に、酒井のやり方は絶対に薦められない。子供の言語学習能力は、九歳くらいで失われるというのが科学的真実であって、その時期を過ぎて、たとえば18歳になって、英語が苦手だ、読む気にならない、というような人には、辞書を引かないとか分からない単語は飛ばすとかいう読み方では、決して英語を読めるようにはならない。
 ところでこの酒井なる人、なぜ60過ぎて准教授なのだろう。それに引き換え、渡辺秀樹を教授にしてしまう阪大言語文化部には、愛想が尽きる。