そうだったのか

 宮下整の『戦前の少年犯罪』の大仰な物言いが、勢古浩爾さんの新著で批判されているのを見たが、勢古さんも、その少年犯罪の実態は知らなかったらしい。もちろん私だって知っていたわけではないが、そんなもんだろう、と思っただけだった。濱本浩の「十二階下の子供たち」や里見紝『多情仏心』に出てくる不良少年少女を見たって、そんなものだろうと思うし、歴史にせよ文学にせよ、日本近代を専攻して新聞などを見ている人には、さして驚くべき話ではない。
 ところが、高島俊男先生が、向田邦子が描いているような家庭はエリート家庭だった、と指摘していると知って、たまげた。そんなことは常識だと思っていたからで、なに? あれを「普通の家庭」だと思っている人が、まあ若者とか、歴史を知らない低学歴者はいざ知らず、そんな人がいるのか? と思ったからである。
 すると、さらに不安になってくるのだが、戦後の小津安二郎が描いたような家庭も、当時の普通の家庭だと思って観ている若者とか、やはりいるのだろう。作によってさまざまだが、だいたい娘の結婚問題でどうとかやっている映画は、ありゃみな中産階級エリートの家庭である。
 いや実際、最近は知らないが、ひところのNHK「朝の連続テレビ小説」なんて、戦前が出てきたりするとたいていはエリート中産階級家庭の話だったから、ああいうのを観て誤解する人が多かったのだろう。大学の先生などは、くれぐれもそういうことを学生に教えていただきたいものである。