杉並区長に山田宏が再選された。なんか悔しい。
 選挙期間中、杉並区内の某駅前で、人もまばらなところで喫煙していて警官に注意され、例によって口論したあげく、別の某駅前で演説をしている山田を見つけ、最近の自転車取締で、一、二分銀行やコンビニの前に停めただけで「警告」のでかい札を貼るというやり方に腹をたてていたので、それ以前に区長宛に苦情メールを出していたこともあって、「区長に話がある」と近づいていったら側近の者に止められて「私が話を伺いますから」と言うので(まあ当然だが)ひとしきり苦情を言って去った。
 しかし一般的には、「新しい歴史教科書」を採択したというので山田区長は攻撃されている。私のところへも批判の賛同趣意書が送られてきた。しかし、「あの戦争を礼賛」と妙にぼやかした書き方をしているのは、実際には「新しい・・・」も戦争礼賛なんかしていないからである。もし「戦争責任者である昭和天皇を礼賛しているのがけしからん」と書いてあったら、喜んで賛同しただろう。しかも、対立候補として立った女が、いかにもバカである。仕方なく選挙では白票を投じたが、それでも山田が当選すると、ある寂しさがある。そこまで「左翼」は民衆に訴える力を失ってしまったのか、と思うからである。自業自得とはいえ。
 さて先日の「AERA」の佐藤優の記事に、佐藤が怒っているという知らせがあった。私のコメントにも怒っているというのだが、別に怒ってもいいが、言論には言論できちんと反論してもらいたいものだ。佐藤は記事を書いた記者に「右翼に言うぞ」などと言ったそうだが、かつて右翼に襲撃されて死者を出している朝日新聞の記者にそういうことを言うのは、脅迫罪に近いだろう。とうとう本性を現したというところか、ヤクザ右翼の佐藤よ。
 最近は、左翼のバカなのを憂えるより、左翼がいつまでたっても現実的にならないがゆえの右傾化を憂えているよ。
 そういえば山田昌弘氏から新著をいただいた。「魅力の格差」についてこれまで社会学者らが触れて来なかったというのはいいが、その解決のために「コミュニケーション力」を養うよう国家が努めよ、というのは、どうやってやるんですかと訊きたいものがあった。上野千鶴子といい、こういうことを言う人は、全然プログラムを示せないのだよなあ。しかも山田さんはその前に、昔の者たちがコミュニケーション力があったわけではない、と認めているのだから。
小谷野敦