昨年の秋ごろ、集英社インターナショナルの編集者である女性Fさんが、私の朗読会にやってきて、その後猫猫塾にも参加した。三月ころ、単行本執筆を頼みたいと言ってきたので、浜田山駅前で会った。前に猫塾でやった「世間学」を本にしたいようなので、承諾は与えた。「ようなので」というのは、この人、放っておくと平然と黙っている人で、著者である私のほうが場を盛り上げるありさまだったからだ。年齢も30代かと思ったら、あとで聞いたら20代後半であった。
 だが、その後の進行がどうもうまくない。上司が一緒に食事がしたいと言っていると言い、日程を決めるのに手間取ったが、4月18日に神楽坂の食事処へ行ってきた。上司はO氏という60代くらいの人と、T氏という50代くらいの人で、雰囲気はなごやかであった。Fさんはこれまで雑誌をやってきて、これが初めての単行本担当になるということだった。帰り際、私はFさんに、じゃあ目次を作っておいて、と言った。
 ところがその目次がなかなかできてこない。とうとう先日こちらからメールすると、上司が変わって、作った目次を見せたら没にされたと言い、「世間学」ではなくなるかもしれないと言う。なんで私が頼んだ目次を変わった上司が没にするのか。怒りを感じてメールしたら、もう一度会って話がしたいと言うから、もう二度も会ったのだから、その目次を見せてくれと言うと、「社内事情を持ち込んで申し訳ありません」と言って目次を添付してきたのだが、どうも最初の話と違う。それでメールしたのが先々週の金曜だが、以後音沙汰がなくなった。
 月曜になって社へ電話したら彼女はいない。O氏にメールしたところ、単行本なので出版部長の佐藤というのが上司になったと言っていたが、火曜に電話したら、相変わらずいないから、伝言してあちらから電話してもらい、なんで金曜のメールに返事をしないのかと言うと、「何と言えばいいのか分からなかった」と言う。さらに聞くと沈黙してしまい、話にならない。それでO氏に電話すると、FさんとO氏とT氏で私にまた会いに来るという。しかし、その新しい上司だという佐藤真というのが、何を言っているのか分からないからちゃんと話をしてくれと言うと、ほどなくその佐藤から電話があって、じゃあ彼女をやめにして私が直接やりましょうと言う。佐藤は東大国語学科卒の52歳だという。
 そこでその佐藤と昼間会ってきたのだが、まことに驚いた。人間としゃべっているとは思えない。まずひとくさりFさんの悪口を言うのはいいとして、人相が良くない。私が「Oさんはそれでいいと言いましたよ」と言うと、「あれはバカですからね。分かってもいないのに分かったふりをするんですよ」などと言う。「世間学」というのを、勝手に「世間とは何か」みたいな議論だと理解した(ふりをして)、なんで「地政学」があるのか分からないというから説明すると、本を読む層というのはどうだこうだ、アイドル路線で行く気はないとか、裁判について書くというと「裁判論」であるかというから、別に論ではない、と言うと、比較文学比較文化だから文学というものを感じさせたいとか、哲学がどうとか、不思議な方向へ話が展開し、全然収束しないのである。しまいに、「なんでそうまでして書きたいんですか」などと言うから、そっちが持ってきた話じゃないかと言うと、「じゃあ、やめましょう」と言う。それは社としておかしいだろう、責任は誰がとるんだと言うと、そんなことはよくあることで、いちいち責任とってたら首がいくつあっても足りませんからねえと言う。私は激怒して席を蹴って帰ろうとしたら豪雨だった。
 さてこの「佐藤真」という男、ググると、「ばいぶん社」という団体を作って政治活動をしており、山崎行太郎の友達だというから、ようやく呑み込めた。つまり反米バカなのである。実は私は、この企画に横槍が入るとしたら「地政学」だろうと思ってはいた。佐藤も、徹頭徹尾、地政学のところを気にしていた。つまり日本は、ロシヤ、北朝鮮、シナを近隣に持っているから、米国に守ってもらう必要がある。それが、こいつは嫌なのだ。西部邁なんてのは反米左翼の精神を引きずっているから、ああなってしまうのだが、まあ山崎も、湾岸戦争反戦署名に参加するくらいだから、一種の反米バカである。
 しかし、いったん会議を通った企画をこうやってつぶしに来るとは何という腐った男であろうか。私はようやく、Fさんが沈黙していた理由が分かったのであるが、O氏は帰宅後電話したら、佐藤が帰社したら話を聞いてまた連絡しますと言ったきりで、六時少し前に電話したら、もう帰ってしまっていた。