http://1000ya.isis.ne.jp/0071.html
 久しぶりの松岡正剛ネタである。
「フランスでドラムカンに人間を煮詰めて食べたという、いわゆる佐川事件である。そして、これを唐十郎が『佐川君からの手紙』として作品にした。
 人肉を食べること、これをカニバリズムという。
 カーニバルとはそのことである。
 本書は人間の文学が描きえたカーニバルの究極のひとつであろう。『海神丸』『野火』とともに忘れられない作品である。」
 ぷっ。お茶吹く。佐川一政が「ドラムカンに煮詰めた」って話は聞いたことがないし(女子高生ドラム缶殺人事件?)、唐十郎はそれを作品にした、のではないが、まあそれはいい。
 カニバリズム=cannibalism
 カーニヴァル=carnival
で、全然別の語である。canib はカリブ海のことで、カリブ海の民族は人肉食をすると考えたイスパニア人が作った言葉。カーニヴァルラテン語語源で、謝肉祭とも訳されるから、カルナは肉である。肉だから同じ語だと、私も若いころ思っていた。
 ドヴォルザークの「謝肉祭」って曲が好きです。

http://1000ya.isis.ne.jp/0885.html
「『近世日本国民史』については、最近やっと杉原志啓が『蘇峰と近世日本国民史』(都市出版)で詳しい評価を書いた。ぼくはそのなかで初めて、大杉栄が獄中で『近世日本国民史』を読み耽っていたこと、正宗白鳥、菊地寛、久米正雄吉川英治が愛読書としていたこと、松本清張が蘇峰を評価していたこと、遠藤周作も蘇峰の歴史に感嘆していたことを知った。」
 芳賀徹先生は父が芳賀幸四郎なので、子供の頃「近世日本国民史」を枕がわりにしていた、と書いていたように記憶するが、愛読していた。ところでほかはともかく、久米正雄が愛読していたというのは気になる。久米は読書家ではなかったし、歴史好きでもなかったからである。そこで杉原志啓『
蘇峰と『近世日本国民史』 大記者の「修史事業」』を見ると、久米が愛読したという記述に注がついていて、『三代言論人集成』第六巻の阿部賢一徳富蘇峰」(時事通信社、1963)があがっていた。阿部(1890-1983)は新聞記者で、久米とも親しかった。で、それを見てみると、『近世日本国民史』を「一般読者からは面白く読んだ、という話もずいぶん聞いている。話はちょっと外れるが、かつて久米正雄が筆者に語ったことがある。「蘇峰の歴史を一揃いもっていると、時代物作者は一生食いはぐれないよ」と」。
 つまり久米は歴史作家を皮肉って、蘇峰をネタ本にしていると言っただけで、自分が愛読したとは書かれていないのである。それを杉原が、まあさして他意はなかったのだろうが誤読し、松岡が孫引きしたというわけだろう。  

http://1000ya.isis.ne.jp/1517.html
 松岡正剛は文章もへたである。下手なだけならいいが、日本語が間違っているから困る。年をとってどんどんひどくなっている気がする。四方田犬彦も、若いころは変な日本語が多かったが、新潮社あたりから出ると校正が直してくれるらしい。
白洲次郎はダンディきわまりない「風の男」だった。」
 −ダンディきわまりない?
「面影のまにまにいると言ったほうがいい。」
 ―波のまにまに、なら分かるが。
「白洲と悪口を叩きあった小林秀雄
 −叩くのは陰口
「稀代のダンディで聞きしにまさる洒落男だが」
 −聞きしにまさる、ってこういう風に使わない。
「文章はお世辞にもうまいとは言えないが」
 −それはあんたのことだ。
「一行ずつからびしびし伝わってきた。」
 −「ずつ」をこんなところに。
「けれども金目にモノを言わせていたのではなく」
 −金目のもの、と、金に糸目をつけず、と、金にものを言わせるがごっちゃになっている。
「金目に近寄る連中を」
 −金目って何だと思ってるのか。
「自身は金目なものをみごとに手離れさせていたことは」
 −手離れってなんですかー!
「好き嫌いが画然としていたのだ。人やモノについて、画然と好き嫌いを言えるだけ」
 −この「画然」の使い方。
「だからインチキな連中は一発で見破られてしまうのだ。」
 −インチキなのはあんたです。
「外遊する政治家や外務省の役人たちの相手国への慇懃無礼が嫌いだった。」
 −慇懃無礼は誰だって嫌いですがね…。
「よくよくわかったことは、白洲次郎はかなりの」
 −「よくよく考えてみると」などと使います。これはないです。
「いったいその正体が奈辺にあるのかは、わからないことも少なくない。」
 −文章としてなっていない。
「そこを初めて証したのは、やっぱり白洲正子の」
 −証した、って明らかにしたの意味でしょうか。
「白洲商店の大きな番傘に墨痕黒々と」
 −どうもよそでも使われているようだが、墨痕は淋漓である。
ル・マンなどのカーレースに駆って出た。」
 −「買って出る」のは喧嘩。馬を駆って…は出ません。
「こういうとき、いつも白洲のそばにいて、静かに英国式ダンディズムを提供し続けたのが、のちのストラッフォード伯爵の学友ロビン・ビングだった。」
 −ダンディズムを提供するって民放の番組じゃあるまいし。
「死ぬまで“車ディレッタント”として続いた。」
 −「ディレッタント」辞書引いてみましょうね。
「ともかくも英国仕込みの一から六くらいまでを、17歳からのケンブリッジの9年間でいっぱし身につけたわけである。」
 −どこをどう直せばいいんだこの日本語。いっぱし、って何?
「正子にも「おい、白洲次郎の嫁になれ、いい男だぞ」とさかんに暗示をかけた。」
 −それは「暗示」ではなく「明示」であります。
「海外をしこたま飛び歩くようになった。」
 −「しこたま」のこういう使い方は初めて見た。
「このとき早々に面識を得たのが、当時は駐英国特命全権大使吉田茂だった。」
 −「早々に」の意味が不明。
「それをいそいそと邪魔しにやってきたのが河上徹太郎小林秀雄だった。」
 −「いそいそ」って…。
「日本の外交感覚を一身に引き受けたようなところがある。」
 −「外交感覚を一身に引き受ける」って何でしょうか。
「日本の戦後史の幕開きがどうなっていたか、やはりわからないとも思える。」
 −「幕開き」?
伊勢谷友介が演じた白洲次郎には、俺がいなければ日本はどうなっていたかわからないという凛然たる陽気が満ちていた。」
 −陽気? 妖気?
「白洲からするとひどすぎた商工省を改組して、なんとかこれを「通産省」にデコンストラクションさせる手を打つことだった。」
 −脱構築されちゃったんですか、それはそれはご愁傷さまで…。
「ぼくも翌日の小学生新聞にその晴れがましい出来事の写真がルビ付きで大きく載っていたことを」
 −写真にルビがつくとは知りませんでした。
「別の記録では演説が日本語になったのは、アメリカ側が「日本のディグニティ(威厳)のために、日本語のほうがいいのではないか」という提案があったとしている。」
 −「アメリカ側から」としてください。
「日本の政治家と役人は八方美人にこだわりすぎて」
 −「八方美人」ってのはこだわるもんでしょうか。
「看護婦」
 −これは偉い。

http://1000ya.isis.ne.jp/1297.html
 「もともとこの人は『趣味は読書。』(ちくま文庫)という著書があるほどの“読み屋”のプロで」
 読んだのだろうから間違いではないのだろうが、「趣味は読書。」というのは、必ずしも斎藤の趣味が読書だということではない。だって斎藤にとって読書は仕事だろう。このタイトルは、趣味は読書という人は日本人の一パーセントしかいないということを言っているのだ。

                                                                                  • -

檀一雄の「白雲悠々」を読んでいたら、檀が二人目の妻に生まれた次郎の出生届を出しに行ったら、次郎が次男として受理されないという記述があった。檀の最初の妻は「リツ子・その死」で死んでしまった律子で、その所生に太郎がいる。戦前の民法では、戸主が中心だから、妻が変わっても戸主にとっては長男、次男になるわけだが、戦後の民法には戸主がないので、婚姻ごとに長男、長女になるのだという。
 ところで戸籍法には「長男、長女」といった文言はない。「戸籍法施行規則」にもなく、この施行規則の附録様式に書いてあるのだ。それで2004年からこの附録様式が改正されて、非嫡出子も「長男、長女」とするようになった。

http://1000ya.isis.ne.jp/1377.html
 「C・G・ルイス」は「C・S・ルイス」。どうも英文学が弱いようだ。
http://1000ya.isis.ne.jp/1321.html
 「川端康成(53夜)が高齢になりながらも若い女と心中してしまったことを思い出した。」
 な、何かの比喩なんだろうか…。
「ついで関東大震災の翌年の大正12年には」
 関東大震災は大正12年、『文藝春秋』の創刊は同年正月。
「ぼくはここで思い出す、埴谷雄高が『不合理ゆえに吾信ず』(932夜)と書いたことを‥‥。」
 まさかテルトリアヌスの言葉であることを知らんわけではあるまいが。
 なお『天の夕顔』は、題材提供者の実体験で、戦後になって中河はこの男から、俺の話を盗作されたと言われて困惑している。
http://1000ya.isis.ne.jp/0053.html
「原稿用紙を前にして「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」と書いてみる。それから食事をして、宿の者と話し、風呂あがりに温泉場をうろついていると、何人かの人物が浮かんでくる。
 翌日、「夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった」と書いてみて、さあっと想念が浮かんでくる。」
 『雪国』が断続的に書かれたというのは、そういうことではない。
http://1000ya.isis.ne.jp/1144.html
 「伊波普猶(いなみふゆう)」いはふゆう、である。
http://1000ya.isis.ne.jp/1138.html
 「北斎滝沢馬琴と組んで『椿説弓張月』『南柯夢』『水滸画伝』『南総里見八犬伝』といった読本にたっぷり絵解きを盛りこんだことをおもえば」『八犬伝』は北斎ではない。

http://1000ya.isis.ne.jp/1420.html
 なんか昔に比べても劣化しているようで、「ジャパン・プロブレム」とか「リベラルアーツ」とか、適切なのかどうか疑わしい西洋語が多い。
 で、「元治1年」とか書くのは昔からで、これは何か考えがあるのだろうとして、義経が「熱田神宮の大宮司のもと元服をはたし」ってこれは何か。熱田大宮司といったら、頼朝の岳父である。そんなところへ行ったら、「兄上の許可を得てからのほうがよろしいのでは」と言われてしまうではないか。もちろん、小島毅はそんなことは書いていない。
 あと注で「保立道之」とあるのは「保立道久」の誤植か。
http://1000ya.isis.ne.jp/1512.html
 比較的どうでもいいことだが、レグルス文庫の『マハーバーラタ』は、インド人が現代インド語で短く書いたのを翻訳したものなので「抄訳」ではない。
http://1000ya.isis.ne.jp/0393.html
 「それがどうしたことか、思い立って小説を書いて応募した。『楢山節考』である。」深沢は戦時中から小説を書いて川端康成に送ったりしていたのだが、まあこれを松岡が知らないのはやむをえまい。

http://1000ya.isis.ne.jp/1441.html
「しばしばそのネステッドな迷宮性にくらくらと戸惑うこともある。」「ネステッド」というのが意味が分からない。どうやら「ネステッドループ」というのがあって、それをイメージしているらしいのだが、これは「ネステッドループ」が迷宮的だというのであって、「ネステッドな迷宮性」などという言葉はあるまい。
「下出積輿」というのは誤字ではなくて本気でこの字だと思っているのだろうか。「下出積與」である。