今朝がた変なニュースがあって、桃山学院大学(英語名セントアンドリュース大学)という、我らが高田里恵子先生がおられるところで英語の講師をする44歳男性が、ウェブ上で学生のレポート論文の代行をしていて問題になったという。
 どうも専任講師ではなさそうだが、講師になってからは引き受けておらず、友人から、大学で教えることになった以上はやめるべきだと言われていたが放置していた、というのだが、
大学講師であろうがなかろうが学生のレポート論文代行なんて許されん行為であろう。ニュースでは「有料で」とかあって、何やら「大学の先生が有料でやるからいけない」と言わんばかりなのだが、無料だってそんなのいけない行為だし、この友人なるものも、飲酒運転の同乗者同様、破廉恥行為を黙認していた点で同罪である。
 以前、川瀬貴也氏がこういう業者に怒りのメールを送ったことがあったが、いったい…。
まあしかし、代行してもらったレポートを、自分で書いたものじゃないと見抜くのも大学教員の実力のうちではあるがね。

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http://twitter.com/kokada_jnet/status/13909513628
三日前にこういうツイートがあり、私は、確認したほうがいいと言っておいた。さて現物『星新一の世界』における当該個所は以下の通り。

星:川端(康成)さんの「掌の小説」も、ずいぶん短いのがありますね。僕は「心中」という作品に肝をつぶしてしまいました。かなり凄みのある、ねえ。
武蔵野:ええ、ありますね。
星:普通の人は、あの掌編集は一種の身辺雑記と先入観を持ってるけど、読んでみるとかなりストーリー性のあるものですね。
武蔵野:やはり自分のことを書いてるような感じがするから、読者は私小説のような感じがするんでしょうけど…。
星:でも「掌の小説」は、あまり私小説という感じがしませんけれどね。

『掌の小説』は新潮文庫版で120編程度が入っている。これで全部ではない。内容はさまざまで、どれが自伝的小説かは、吉村貞司の解説にきちんと書いてあり、別に武蔵野は変なことは言っていないのである。
 ちなみに私は高校三年の時に『掌の小説』をむさぼるように読んだが、星新一の小説の中に、それに及ぶものは未だに見たことがない。大人の小説と子供の読物ほどに違う。

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というわけで某図書館へ行ってきたのだが、日曜の図書館というのは子供が勉強をしに来る。図書館の机というのは図書館の本を見る場所である。家に場所がないのではなくて、友達と一緒にやりたがるのだろう。
 今日は手前の六人用の机に、右側四人分、勉強道具が放置されて当人どもはどっかへトンズラ。いちばん左向こうに女子が座す。私はその向かいに座ったが、あっちの机で女子二名がおしゃべりを始めた。受忍できる範囲かどうか、やむかどうか少し様子を見たがやまないので「話をするな!」と怒鳴りつけると、目の前の女子がびくん、となった。二人は黙った。
 すると今度はあちらの方で、気弱そうなお父さんが幼児を連れて来ていて、この幼児が歌う。これも受忍できるかどうか見ていたが、わざわざ立って行って注意すると、三人の女子から「変なおじさん」認定を受けること請け合いだと思い、父幼児がこちらへ歩いてきた際、父に「歌わせないでください」と言う。
 その間私は資料を確認しつつコピーをとったりしているわけだが、今度は右手奥で大人の男二人が話を始めたので、「話をしないで下さい」と決めつける。
 私が作りだした緊迫した雰囲気の中、私は資料の整理を終えて帰ってきたが、きっとこの女子どもはあとで「図書館に変なおじさんがいてね」と話の種にするのであろう。