猫の目の谷崎潤一郎

城山三郎の『もう、きみには頼まない 石坂泰三の世界』を読んでいたら、一高時代の話で谷崎潤一郎が出てきて、「両手をポケットに突っ込んで猫のような目をして歩いている秀才の谷崎潤一郎」と書いてあったが、谷崎のこういう描写は見たことがないのでメモし…

フィクションの笑いと事実の笑い

大江健三郎の『ピンチランナー調書』は、大江没後、雨後の筍のように叢生した大江論の中でも、あまり言及されることはない。この長編が新潮社から刊行されたのは一九七六年で、「哄笑の文学」として大きく宣伝されていた。その時中学二年生だった私は、二年…

中西進と中村光夫について

Amazonで、私の「もし『源氏物語』の時代に芥川賞・直木賞があったら」に、sasabonという人が2月26日づけでレビューを書いた。「目くじらを立てるほどではないですが、過去の名作を恣意的に「芥川賞・直木賞」に選定したというお遊び」というタイトルだ。以…

音楽には物語がある(63)「或る日突然」と「Dear My Friend」  「中央公論」3月号

「或る日突然」は、1969年に男女2人組のトワ・エ・モワが歌ってヒットした曲で、作詞は山上路夫(作曲・村井邦彦)である。私は当時小学校一年生だったし、その時はこの歌を聴いた記憶はなく、あとでマンガの中で人物が口ずさんでいるのを見たことがあるが…

ケン・フォレット「大聖堂」が日本ではイマイチなのはなぜ

先日、アメリカの作家ケン・フォレットが12世紀英国を舞台にして書いた大長編『大聖堂』について、これははじめ新潮文庫で翻訳が出たので、新潮社の校閲の人が原作のミスを見つけたという記事を読んだ。前から『大聖堂』は気になっていて、世界で二千万部の…

川端康成と服部之総

大正15年末に、川端康成は伊豆の湯本館に滞在していた。そこへ大阪から梶井基次郎がやってきて、川端と知り合い、そこで肺病の養生をした。その時のことは『川端康成詳細年譜』(深澤晴美共編)に詳しく書いてあるが、服部之総は出てこない。 しかし、京都精…

N響アワーの芥川也寸志らの鼎談

「N響アワー」という番組で、1985年から88年まで、私が大学三年生から大学院生だった時期に、芥川也寸志、なかにし礼、木村尚三郎の鼎談形式による司会がなされていたことがあった。芥川は文豪の息子で作曲家、なかにしは作詞家、木村は西洋史学者で東大教授…

四方田犬彦「「かわいい」論」

2006年1月に刊行されてけっこう話題になった本だが、今回初めて読んだ。私は四方田という人に対して複雑な感情を抱いていて、大学院に入ったころ、面識のない先輩としてそのエッセイ集『ストレンジャー・ザン・ニューヨーク』を読んだ時だけ、素直に面白い本…

「男の恋の文学史 新版」における注について

「<男の恋>の文学史 改訂新版」(勉誠出版、2017)の「布川孫市」の章における注番号に乱れがあることが分かったので以下に訂正を記しておく。 本文の注2から4に該当するのは注の2および3で、本文の注5に相当するのが注の4,注の5は本文に該当がない。本文…

梅若マドレーヌ「レバノンから来た能楽師の妻」岩波新書についてのある感慨

著者はレバノン出身で、1958年生まれ。76年に戦火のレバノンを出国し、神戸のカナディアン・スクールで梅若猶彦と知り合い、のちに結婚した人で、姉も日本人と結婚して評論家の石黒マリーローズ。原文は英語らしく、竹内要江が訳している。 内容はまあ、途中…

アンリ・ロイエット「ドガ:踊り子の画家」

私は創元社の「知の再発見」シリーズというのがけっこう好きなのだが、これなどに関して言うと、監修である千足伸行の名が、訳者の名より大きいというのは気に入らない。 ヴァレリーの「ドガ、ダンス、デッサン」を読んで、ドガの伝記はないかと探したら見つ…

大塚久雄『社会科学の方法 ヴェーバーとマルクス』(岩波新書、1966)

図書館で借りてきたのだが、1992年の42刷だからロングセラーである。社会科学というのは、自然科学と並べてどのように科学として成立するかを説いた本だというので借りてきてみたが、四つの講演や講義を並べたもので、ですます調で分かりやすいように見えつ…

音楽には物語がある(62)財津一郎と「洪水の前」 「中央公論」2月号

財津一郎が死去した。私にとっては財津というと、和製ミュージカル「洪水の前」(1981)が思い出される。クリストファー・イシャウッドの『さらばベルリン』(1939)という半自伝的小説(翻訳は中野好夫訳『ベルリンよ、さらば』角川文庫)の中の、魅力的な…

七田谷まりうすのこと

七田谷まりうす(1940ー2021)という珍奇な名前の俳人のことは、あなたも「文藝年鑑」で見たことがあるでしょう。なだや・まりうすと読み、本名を灘山龍輔という、東大経済学部卒の財界人が、俳句を作る時に使っていた名前です。 私の大学院での同期だった筑…

ケン・フォレット「大聖堂」の「上」を読んだ

ケン・フォレット(1949- )というアメリカの大衆作家は、前に「針の眼」というサスペンス小説を読んで、ドナルド・サザーランドが主演する映画も観たが、趣向が「鷲は舞いおりた」と同じな上、サザーランドが両方で似たような役をやっているのがおかしかっ…

売春婦差別について

私は24年前、「セックスワーカーを差別するな」と呼号する澁谷知美に、そういうことを言うなら自分がアルバイトでもソープ嬢とかやってみるべきだろう、と言ったのだが、こないだふと、なんであんなこと言ったのかなと思ったのだが、あの当時は私は売春撲滅…

百目鬼恭三郎「乱読すれば良書に当たる」

百目鬼恭三郎という人は、丸谷才一の新潟高校から東大英文科までの同級生で、朝日新聞の記者として、丸谷の『裏声で歌へ君が代』が出た時一面で宣伝したのを江藤淳に非難されたのと、その名前の恐ろしげなので有名だが、「風」という変名で書いた『風の書評…

編集者特権と文学賞

文学関係の有力出版社の編集者だった人が、引退とかして本を書くと、お世話になった作家たちが選考委員をする文学賞を貰えるという現象があるのはよく知られている。人物別に一覧にしてみた。 半藤一利(1930-2021)文藝春秋「漱石先生ぞな、もし」新田次郎…

長野隆のこと

長野隆という文学研究者に、会ったことがある。1989年11月の、国文学研究資料館での国際日本文学研究集会で、懇親会の時に妙に陽気に振る舞っていたが、当時39歳くらいだったろう。 それから9年して、私は阪大におり、『ユリイカ』の太宰治特集に、「カチカ…

杜遷と宋万は死んだ

これはトム・ストッパードの「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」を下敷きにして「水滸伝」の地味な二人でやってみようとしたが始まってすぐ力尽きたやつ。 杜遷と宋万は死んだ 小谷野敦 杜遷:よう、宋万。宋万:おお、杜遷か、久しぶりだな。杜…

アリエル・ドルフマン「死と乙女」

ふと目についたので図書館から借りてきたのが、昨年8月刊行の岩波文庫だが、これは1991年ころ書かれたチリの作家の戯曲で、世界的成功を収め、日本でも上演されたらしい。ウィキペディアでは「アリエル・ドーフマン」として立項されており、1942年生まれだか…

佐藤実枝「マリヴォー「偽りの打ち明け話」翻訳と試論」

18世紀前半のフランスの代表的喜劇作家マリヴォーの作品の新訳と、詳細な注、そして解説(試論)から成っている。翻訳のほうは、人物のセリフやしぐさに関する細かな注がついており、主人公が真剣に恋しているのか、金目当てなのかが議論になる作品だという。…

橘玲「スピリチュアルズ 「わたし」の謎」

橘玲の遺伝に関する著作が大変面白かったので、これを読んでみたのは、橘がスピリチュアルに関心があるのかと疑問に思って図書館から借りたのだが、これはパーソナリティ心理学の「ビッグファイブ」に対して、橘が考える「ビッグエイト」を解説する心理学の…

「渇水」の原作と吉屋信子「鬼火」

河林満「渇水」の原作を読もうとしたら、杉並図書館では角川文庫は買ってくれなかったので、単行本が14人くらい待ちになっていたから、初出の『文学界』を借りてきて読んだ。選考委員は畑山博、池内紀、青野聡、宮本輝、津島佑子で、うち三人が故人になって…

久世光彦「蕭々館日録」

久世光彦(1935-2006)は、東大卒で、大江健三郎や高畑勲と同年だが、美学美術史卒だからあまり関係ない。TBSに入り、テレビドラマの演出家として「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「ムー」などを手がけたが、「ムー一族」の打ち上げのパーティで、出演して…

小林勇「蝸牛庵訪問記 露伴先生の晩年」

幸田露伴の伝記の決定版は、中公文庫に入っている塩谷賛(しおたにさん)の「幸田露伴」だが、これは筆名で本名を土橋利彦といい、若いころから露伴に師事した人である。だが中途で失明し、この本は録音して書かれている。 小林勇は岩波茂雄の女婿だが、一時…

ディーノ・ブッツァーティ「タタール人の砂漠」

ブッツァーティの「タタール人の砂漠」が岩波文庫で人気があるらしいので読んでみた。私はブッツァーティの名は日本では比較的早く知っていたほうで、1987年に、大学院一年の時、平川祐弘先生のイタリア語の授業に出て、二学期からブッツァーティの作品を読…

音楽には物語がある(61)映画音楽の「巨匠」 「中央公論」1月号

映画音楽の作曲家として知られるエンニオ・モリコーネ(1928-2020)のドキュメンタリー「モリコーネ 映画が恋した音楽家」を観ていたら、どうも居心地が良くなかった。色々な人がモリコーネについてコメントするのだが、最大級の絶賛の言葉を次々と並べられ…

映画「渇水」と河林満

「渇水」は、河林満(1950-2008)の純文学短編で、芥川賞候補になり、同名の単行本も1990年に出た。その年は私が最初の本を出した年なので、父親が舞い上がって、別に関係ないのにこの本を買ってきたが、私は読まず、その後売ってしまって今に至っている。河…