千葉雅也の論

ちくま新書『世界哲学史8』で千葉雅也君が、ポモ批判に全部反論していると言っていたのであまり信用しないながら図書館で取り寄せて見てみたがまあ思ったとおり普通のポモ解説でしかなかった。いや別に失望はしていない。

 千葉君も、「近代」が終わっているとは思っていなくて、それでも「ポストモダン」と言うのは許されるだろうと書いているが、いや許されないよと。

 学問として成立していないフロイトニーチェも登場するが、千葉君が私の『哲学嫌い』を読んでいるとも思えないし、だいたい私は哲学(独自哲学)が大学で展開すべき「学問」かどうかを疑っているので、そもそも前提からして違っているので、千葉君には改めてそこから考え直してほしいのだが、それをやると自分がやってきたことが全部学問じゃなくなるからそれはできないのかもしれない。まあ仕方のないことだ。

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小谷野敦

音楽には物語がある(10)女はバカがいい? 中央公論2019年12月

 歌謡曲には恋愛の歌が多いが、かつてそこで歌われていた女性観には、今では通用しないだろうな、というものも少なくない。伊藤咲子の「ひまわり娘」(阿久悠作詞、一九七四)は、女がひまわりで男が太陽だし、石川ひとみの「くるみ割り人形」(三浦徳子作詞、一九七八)などは、女が人形で男があやつる人である。もっともこれはタイトルが先に決まって苦し紛れだったんじゃないかと思うが・・・。
 一九九二年にカナダ留学から帰った私は、留学中に知った辛島美登里の曲をいろいろ聴いていた。二年前に「サイレント・イヴ」がヒットして、俳人黛まどかは「辛島聴く」を冬の季語にしていた。私はどちらかというと辛島の見た目、知的でぽってりした感じにひかれていたようだ。
 そんな中に「星とワインとあなた」という歌があり、都会の片隅にいるカップルの幸福な様子を女の視点で描いているのだが、男は元は天文学者になりたかったが挫折したようで、女は男に、天文学の話をしてほしいと言い、「難しくても、分かったふりであなたの顔」を見つめていたいと言うのである。私はこういう、女はバカでいい、というような男女観が好きではない。さらに、都会の片隅から二人で「何億光年先の未来」を見るとも言うのだが、「光年」は距離の単位であって時間の単位ではない。それに天文学者は望遠鏡で何億年過去の光を見ているのだ。
 しかしまあ、恋人の男女二人が都会の片隅で一緒の夜を過ごして多幸感でこんな妄想にふけるというのも、分からないではない。
 それにひきかえ、松田聖子の「ハートにRock」(一九八三)は攻撃的だ。語り手の女の子は、ボーイフレンドにクラシックのコンサートに誘われたのが不満で、バッハは退屈で眠ってしまうとか、彼氏のしゃべり方が哲学の先生みたいで(ということはこの女子は大学生?)辞書がなきゃデートもできない、とか権威や古典を攻撃しまくる。皮肉にもこの年はニューアカデミズムのブームが来た年だが、別にクラシックたってバッハばかりではない、チャイコフスキーだってプロコフィエフだってあるし、クラシックのコンサートだからといって正装して行かなければならないなんてことはないのだ。
 もちろん、ここでクラシックの対にあるのはロックだ。しかし私にはさほどクラシックが権威でロックは反権威だという感じはしない。
 しかし、辛島の女より聖子の女のほうが主体性はあると言えるだろう。もっと恐ろしいのは戸川純の「ヘリクツBOY」(一九八五)で、これは戸川純・京子姉妹の作詞だが、当時はやりのニューアカ青年でもからかったのか、男の口説き文句が「方法論」で成り立っても実践的でないとか唯心的(?)だとか「現象として」私のことをとらえきれないパラノイアックとか、それっぽい言葉を連発して、その当時、ニューアカかぶれして女にはもてない青年だった私たちを愕然とさせたものだ。
 歌謡曲の世界では、もんたよしのりの「ダンシングオールナイト」に「言葉にすれば、嘘に染まる」的な思想があって、金井美恵子が批判していたことがあった。「ヘリクツBOY」には「女の子はキスが大好き」という歌詞があって、これは間違えられると「ごちゃごちゃ言ってないで押し倒しちゃえばいいんだよ」的な発想になりかねない。「恋愛においては言葉よりカラダだ」的な思想はD・H・ロレンスなどにあるが、まあ言葉もカラダも使いようでは暴力的にもなるので、どっちがいいというものでもあるまいが、まあ人間なんだから最初は言葉であろう。

母の通信教育

私の中学生から高校生の時分、母はNHK学園高校の通信教育を受けていた。田舎の中学校を出てすぐ銀行に勤めたのだ。卒業して東洋大学の通信を受け始めたが、こちらは卒業できなかったようだ。

 高校生の母に届く教材のうち「国語」のそれは、中学生の私も読んでいた。それに付随して副読本も雑誌形態で届いていたが、そこに作品論の連載があり、それを私は面白く読んだ。誰と名のある人ではなかったが、作品を読む目的はテーマを発見することだという明確な目的が記されて、明快な文章だった。芥川龍之介の「羅生門」については、「年長者が悪をなすと年少者がまねをする」というのがテーマだと結論づけられていて、私はその明快さに感銘を受けた。

『内閣調査室秘録』と坪内祐三

 昨年、文春新書から『内閣調査室秘録』という本が出た。佐藤栄作内閣の後期に設けられたもので、保守派の学者・評論家を呼んで話を聞いた経緯を、志水民郎という人が記録しておいたのを、登場人物別に編纂したもので、江藤淳山崎正和中嶋嶺雄、永井陽之介、村松剛見田宗介、関寛治、関嘉彦などで、保守でない人も一割くらいいるが、常連は保守だったらしい。

 別にさほど新しい情報ではないのだが、『みすず』新年号のアンケートで坪内祐三がこの本をあげて、江藤淳がのち山崎や中嶋を批判したのは、お前らが米国に協力したのは自分も知っているぞという意味だったと書いていた。しかし調査室は別に米国機密機関ではないし、佐藤は沖縄返還で米国と密約したというが、それは調査室に来る学者に漏らすようなことではなかっただろう。

音楽には物語がある(8)流浪の民 中央公論2019年8月

 小学校六年生の時、どうも私はけっこう幸せだったらしい。三年生で埼玉県へ引っ越してきて、二年ほどはなじめなかったのか、友達も一人しかいなかったが、五年生になってから土地に慣れたのか、友達も増えた。
 そんな時、音楽の時間に聴いたのが、シューマンの「流浪の民」で、これには感銘を受けた。だからこの日本語訳によるこの曲を聴くと、その記憶が、雨の日の学校とか、南洋一郎による「怪盗ルパン」を読んでいた記憶などと一緒に蘇ってくるのである。
 エマヌエル・ガイベルの詩に曲をつけたもので、日本語訳詞は石倉小三郎により、東大独文科の学生時代にやったものだが、ベートーヴェンの第九交響曲第四楽章の翻訳などはあまり使われなくなったのに対し、「流浪の民」だけは、ドイツ語で聴くより石倉訳で聴いたほうがいいというくらいの名訳である。私は概してシューマンが好きではないのだが、これは石倉訳によって名曲になった。
 「流浪の民」はジプシーのことである。今ではジプシーは差別語だというので「ロマ」と言われるが、ツィゴイネルワイゼンのツィゴイナーもジプシーのことで、だとすると曲名も変えなければならないのか。「ジプシー男爵」というオペラもある。白水社文庫クセジュは「ジプシー」の題で出ている。
 もっとも石倉による「流浪の民」の訳詞には「ジプシー」の語は出てこない。古語を巧みに用いつつ、ジプシーを美化する典型的なロマン主義の詩である。「めぐし乙女舞い出でつ」とか「ひんがしの空」などという言い回しに、小学生の私はしびれた。「南の国乞うるあり」は、ジプシーがエジプト出身だという説によるが、今ではこの説は否定されている。
 ところで、私が高校二年の時に始まり三年間続いたNHKの人形劇「プリンプリン物語」が私は好きだったのだが、視聴率のせいか次第に低年齢層向けになってしまった。十年以上前に、その後半部分が再放送され、DVDにもなったのだが、前半はビデオが残っていなかったからだ。しかるに人形作家の友永詔三のところで前半も見つかり、二年前に再放送されて楽しみに観ていたのだが、年末になって、まだオサラムームー編の途中だというのに打ち切られてしまった。
 実はオサラムームー編のあとにはアクタ共和国編なのだが、同国の独裁者ルチ将軍は十五年前に革命で国王夫妻を処刑し、その子供の兄ベベルと妹マノンは、ジプシーを装ってルチ将軍暗殺を狙っており、劇中で「ジプシーの歌」も歌うのだが、この「ジプシー」を放送するのをNHKが忌避したのだろう。アクタ共和国編総集編というのがDVDになっているのだが、そこではジプシーの歌の「流浪の民、われらジプシー」という部分だけは見事にカットされているから、この推定は間違いない。
 一時期、テレビ放送で、放送禁止用語は音を消すとか「ピー」を入れるなどの措置がなされていたが、今では最後に「この番組には配慮すべき用語が使われておりますが作品の歴史的価値に鑑み、そのまま放送させていただきます」と入れて処理するのが一般的である。不自然にオサラムームー編の途中で切るのはひどいし、NHKにはぜひその方向で続きも再放送してほしい。それが無理なら前半部分の完全版DVDを出してほしい。DVDなら放送より規制はゆるいはずだ。放送禁止歌だった「ヨイトマケの歌」を紅白歌合戦美輪明宏に二年にわたって歌わせたNHKにはもっと期待したい。
 しかし私は、日本人には(いや西洋人もそうかもしれないが)差別語だという意識すらない「ジプシー」や「エスキモー」を自動的に言い換えればいいという「言葉狩り」とかポリコレには疑問がある。

 

音楽には物語がある(7)日生のおばちゃん 中央公論2019年7月

 「日生のおばちゃん、自転車で」で知られる、日本生命のCMがあった。一九八六年まで流れていたらしいが、私は一九七〇年代にこれをテレビで聴いた時、何かの替え歌かな、と思った。まずメロディーをよそで聴いたことがあったし、歌詞に「日生のおばちゃん」などと企業名が入ること自体、替え歌っぽかったからだ。
 果たして、一九七九年に「みんなのうた」で「ヒュルルじんじんからっ風」という、群馬県の子供を描いた短調の哀感とノスタルジーあふれる曲が放送された。これは前にも放送された再放送曲だったから、私は「ああ、『日生のおばちゃん』はこれの替え歌だったのか」と納得したのである。
 ところが、今回この稿を書くために調べ直して驚きかつ混乱したのだが、ありようはこうである。「日生のおばちゃん」は、「モクセイの花」というれっきとした題名もある、小林亜星作曲のもので、「日生のおばちゃん」のCMは一九六九年から放送されていたと、ウィキペディアではなっている。歌っているのは四人組のデューク・エイセスである。
 これに対して「ヒュルルじんじんからっ風」は、名村宏作詞、小森昭宏の作曲で、一九七○年二月に初放送された。その時歌っていたのは、東京荒川少年少女合唱隊だったが、七九年に再放送された際、歌手がデューク・エイセスに変わっている。
 ユーチューブで聴き比べてみると、なるほどまるっきり同じ歌ではないが、一部がほぼ同じメロディーで八小節は続いているし、実際よく似ている。
 作詞はともかく、この二つが、作曲者が同じであれば、まあメロディーの使い回しというのはないことではないし、ですむのだが、違うからややこしい。しかも、どちらが先かすら正確には分からない。「モクセイの花」が六九年には放送されていた確証もない。
 しかも、のちに「ヒュルルじんじん」を同じデューク・エイセスが歌うことになったから、「ああデューク・エイセス風の歌だな」と大抵の人は思うだけで、来歴までは追及しないのである。本人たちはどう思っているのであろうか。
 ユーチューブには、似ている音楽をたくさん並べているサイトもあり、「新世紀エヴァンゲリオン」と「007」の音楽の似ているのなどぎょっとするが、私が昔から気になっているのは「花のメルヘン」(敏トシ作詞・曲、一九七〇)「別れても好きな人」(佐々木勉作詞・曲)との一部の類似である。「花のメルヘン」はダークダックスが歌った「大きな花と小さな花」の曲だが、「別れても好きな人」は私が高二の時の流行歌で「やっぱり、忘れられない」というところが「花のメルヘン」の「春の日差し浴びて」の四小節くらいとそっくりだと思ったので、似ている音楽というといつもこの例を思いだす。
 「花のメルヘン」は、女にもてる大きな花と、もてない小さな花の話だが、大きな花は「生きてることの楽しさはお前にゃ分かるまい」とすごいことを言う。小さな花は「たとえ独りぼっちでも、僕には心の太陽がいつも輝いてる」と答えるのだが、「生きてることの楽しさ」を自分は知っているのだろうか、などと自問したくなってしまう。
 何しろ世界中で大量の音楽が作られているのが現状だから、四小節くらい似ているものなどたくさんあるのだろう。そのうち、すべてのメロディーが作られてしまった、という状況が来るのだろうか、コンピューターで計算したら、あと何年くらいで終わる、と分かりそうでもある。