わざと?の「時そば」

 久米宏がラジオをやっているのを知らなかった。早速配信を聴いてみたら、林家彦いちが、昔寄席の昼席のトリで志ん朝が「時そば」をやったが、二人目の男が「いま何時だい?」と訊いたところで「九つで」と言ってしまい、そのあと「十、十一、十二」と、二人目もうまくいく「時そば」になったという話をしていた。

 「時そば」なら私も中学生の時やったことがあるが、前座噺である。それをわざわざトリでやるのも変で、これはわざとそうしたんじゃないかと思った。

 

ディケンズは困る

『デヴィッド・コパフィールド』をジョージ・キューカーが1935年に映画化した「孤児ダビド物語」を観た。この邦題もすごいが、まあつまらなかった。

 ディケンズは『荒涼館』が傑作で、「クリスマス・キャロル」と『オリヴァー・トウィスト』が通俗的な意味で面白いのだが、自伝的作品と言われ、モームが世界の十大小説に入れた『コパフィールド』とか、『二都物語』とか『大いなる遺産』とか、日本で有名なものが存外つまらない。

 そのつまらなさはモームにも通じるものがあって、「面白いが通俗だ」と言われたりするが、いやつまらないのである。

 英文学では、18世紀のスウィフトやフィールディングは面白いのに、ディケンズはフィールディングをヴィクトリア朝風に上品にした分つまらなくなっている。私が高校生のころは新潮文庫に「コパフィールド」「二都」「遺産」が揃っていて、読んで辟易した。岩波文庫で出た「コパフィールド」の新訳も品切れだが、「二都」は最近光文社と新潮文庫で新訳が出ている。何が面白いのであろうか。

「利根大堰」の謎

子供のころ、一家四人で「大利根堰」というところへピクニックに行ったことがある。父のトランジスタラジオから左卜全の「老人と子供のポルカ」が流れていたのを覚えているから、1970年の4月ころだろう。私は小学校二年生で、弟は三歳になる前だった。私は父のバイクに、弟は母の自転車に乗って川のところまで行った。

 しかし利根大堰というのは群馬県と埼玉県の境にあり、のち埼玉県から社会科見学で行ったのかもしれず、それと混同しているらしい。母は自転車なのだから、一時間くらいで着くはずで、果たして利根川だったかも疑わしい。いったいどこへ行ったのか、今となっては尋ねる相手もない。

『諸君!』と『新潮45』

『諸君!』最後の編集長だった人の本が草思社から送られてきた。『諸君!』は末期にはくだらないウヨ雑誌になっていたという坪内祐三の言を否定しているのだが、私も坪内に同意する。この編集長は禁煙ファシストらしく、私は割と不快な目に遭わされて、電話でどなりつけたこともある。

 『諸君!』は末期以前には、イデオロギーと特に関係ない記事や、浅田彰上野千鶴子の書いたものも載せていたのだが、末期にはウヨ記事ばかりになっていた。『新潮45』も、ナオミのモデルとか里見弴最後の愛人の手記とかも載せる半文藝雑誌だったのが、末期にはウヨ雑誌と化していた。

 『諸君!』でひどかったのは、記事のタイトルを著者に知らせないことで、私も雑誌が来て初めて珍妙なタイトルに驚いたりしたのだが、坪内もそうだと言っていた。著者に断りなくタイトルを変えるのは著作権法違反であるから、この雑誌は日常的にそれをやっていたことになる。イデオロギー以前にそういうところがクソ雑誌たるゆえんではないのか。

小谷野敦