「利根大堰」の謎

子供のころ、一家四人で「大利根堰」というところへピクニックに行ったことがある。父のトランジスタラジオから左卜全の「老人と子供のポルカ」が流れていたのを覚えているから、1970年の4月ころだろう。私は小学校二年生で、弟は三歳になる前だった。私は父のバイクに、弟は母の自転車に乗って川のところまで行った。

 しかし利根大堰というのは群馬県と埼玉県の境にあり、のち埼玉県から社会科見学で行ったのかもしれず、それと混同しているらしい。母は自転車なのだから、一時間くらいで着くはずで、果たして利根川だったかも疑わしい。いったいどこへ行ったのか、今となっては尋ねる相手もない。

『諸君!』と『新潮45』

『諸君!』最後の編集長だった人の本が草思社から送られてきた。『諸君!』は末期にはくだらないウヨ雑誌になっていたという坪内祐三の言を否定しているのだが、私も坪内に同意する。この編集長は禁煙ファシストらしく、私は割と不快な目に遭わされて、電話でどなりつけたこともある。

 『諸君!』は末期以前には、イデオロギーと特に関係ない記事や、浅田彰上野千鶴子の書いたものも載せていたのだが、末期にはウヨ記事ばかりになっていた。『新潮45』も、ナオミのモデルとか里見弴最後の愛人の手記とかも載せる半文藝雑誌だったのが、末期にはウヨ雑誌と化していた。

 『諸君!』でひどかったのは、記事のタイトルを著者に知らせないことで、私も雑誌が来て初めて珍妙なタイトルに驚いたりしたのだが、坪内もそうだと言っていた。著者に断りなくタイトルを変えるのは著作権法違反であるから、この雑誌は日常的にそれをやっていたことになる。イデオロギー以前にそういうところがクソ雑誌たるゆえんではないのか。

小谷野敦

 

まいボコ

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山下泰平『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本

というのが柏書房から送られてきた。パラパラっと見たところ、日本近代文学史の盲点を突く著作だと思ったので、編集者にもそう伝えた。

 しかし腰を据えて最初から読んでいくと、明治期娯楽小説という、国会図書館デジタルで読めるものを読み倒して紹介している本だが、著者が「狂っている」とか「おかしい」がゆえに「面白い」と繰り返しているのが、どうもだんだん、私の中では「単にくだらない」に変わっていって、途中から「面白い」と言われると白けるようになってしまい、やはり忘れられるだけのことはあったんだな、と思うようになってしまった。著者は当時の時代背景などよく知っているようで、正体不明だがまあ日本近代文学の研究をしてきた人であろう。売れているようだし、まあいいのではないか。

 あと引っかかったのが、当時は人気があったかのように書かれており、立川文庫などはそうだろうが、それ以外については売れたというデータがあまりない。続編が出ているから人気があったのだろう、とは分かるが、当時読んだ人の感想などもない。一般大衆が読んでいたから、でもあろうが。人気があったのだろうか。

 

 

 

 

映画「ドリトル先生不思議な旅」について

 うちでは夫婦して映画「ドリトル先生不思議な旅」(リチャード・フライシャー監督)のファンである。しかし私はもっぱら、NHKで放送されていた宝田明が吹替したもののファンである。原典ではレックス・ハリソンは歌のところではほとんど歌っていないのだが、宝田はちゃんと歌っている。

そして私はNHK吹替版を録画しておいたのだが、2007年に掛けようとしたらブチっとテープが切れてしまった。修理に出せばよかったのに、市販されているDVDに同じものが入っていると思い込んで捨ててしまったのは痛恨の極みである。

だが1977年に放送された際、吹替の音楽部分を録音しておいたのが残っていたため最近you tube にあげておいた。

ところでサーカス団にいたアザラシのソフィーが、北極海にいる夫を恋しがって病気になっているので、ドリトル先生が海へ帰すところは、原作『ドリトル先生のサーカス』にあるのだが、途中で、宿屋へ入っていった中年の男女二人組の女のほうの服をドリトル先生が盗んでソフィーに着せるところがある。これは原作にない。ソフィーを海へ放り込んだところを見られ、殺人の罪でドリトル先生は裁判にかけられるが、服を盗まれた女性はわけあって先生を訴えない、というところがある。どうやらこの二人、不倫カップルだったので訴えられなかった、ということを妻が発見した。

さらにこの映画のヒロインのエマ(サマンサ・エッガー)は、はじめ肉売りのマシューといい雰囲気で、マシューはエマと恋をささやいたあと有頂天になって歌い踊るのだが、船で出航して島へたどり着いたところで、エマの恋の相手はなんとドリトル先生になっているのだ。

これは考えてみたら、67年の映画だから、同じレックス・ハリソンが主演した「マイ・フェア・レディ」(63)で若いフレディ(ジェレミー・ブレット、のちのシャーロック・ホームズ)が踊り狂うのにヘップバーンはハリソンにとられてしまうののパロディなんだろう。

「真田十勇士」声優の変更について

人形劇「真田十勇士」がNHKで放送されていた(1975-77)のは私の中学一、二年の時にあたるが、前番組「新八犬伝」の大ファンで漫画まで描いていた私は、75年の正月に、12チャンネルまでテレビの音声も入るソニーカセットデッキを買い、「新八犬伝」の最後の箇所と「真田十勇士」を録音した。といっても中学生で全部録音して保存する財力はないから、全部録音はしたが消してしまったのも多い。

 「真田十勇士」は、あまり視聴率が良くなかった。第一、暗かった。それで二年目に模様替えをした。ナレーションを酒井アナウンサーから熊倉一雄に変えて、低年齢層向けにしたが、声優もわりと変わった。一年目は松山省二が、主役の猿飛佐助、真田幸村柳生但馬守などを一人でやっていたが、松山がいなくなり、佐助は関根信昭、幸村は木下秀雄、但馬守は熊倉に代わる。名古屋章岸田森は全編通していろんな声をやった。三谷昇も一年目でやめ、服部半蔵八木光生に、由利鎌之助は木下に代わった。

 ところが今回録音を聴きなおしていて、松山省二が一年目の最後にもういなくなっていたことに気づいた。一年目の最後は、為三による江戸城焼き討ちと、柳生十兵衛真田昌幸を討つ逸話なのだが、この最後の逸話で、幸村の声がすでに木下秀雄に代わっていた。そしてこれらの逸話に佐助は不思議なくらい登場しない。何らかの理由で松山が早期交代し、幸村は木下になったが佐助の声の代わりの決定が遅れたのではないだろうか。

 三好清海は佐助を好きな夢影に片思いしていたのだが、二人とも声が河内桃子なので、清海と夢影の会話はなかなか大変だった。のち「プリンプリン物語」で、ボンボンの声の神谷明が、アクタ共和国の独裁者ルチ将軍の声もやっていて、二人で言い合う場面があり、オサゲ(はせさん治)が、「ちょっとちょっと、あんたらが言い合ってるとややこしい」と介入する楽屋落ちもあった。