『諸君!』と『新潮45』

『諸君!』最後の編集長だった人の本が草思社から送られてきた。『諸君!』は末期にはくだらないウヨ雑誌になっていたという坪内祐三の言を否定しているのだが、私も坪内に同意する。この編集長は禁煙ファシストらしく、私は割と不快な目に遭わされて、電話でどなりつけたこともある。

 『諸君!』は末期以前には、イデオロギーと特に関係ない記事や、浅田彰上野千鶴子の書いたものも載せていたのだが、末期にはウヨ記事ばかりになっていた。『新潮45』も、ナオミのモデルとか里見弴最後の愛人の手記とかも載せる半文藝雑誌だったのが、末期にはウヨ雑誌と化していた。

 『諸君!』でひどかったのは、記事のタイトルを著者に知らせないことで、私も雑誌が来て初めて珍妙なタイトルに驚いたりしたのだが、坪内もそうだと言っていた。著者に断りなくタイトルを変えるのは著作権法違反であるから、この雑誌は日常的にそれをやっていたことになる。イデオロギー以前にそういうところがクソ雑誌たるゆえんではないのか。

小谷野敦

 

まいボコ

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山下泰平『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本

というのが柏書房から送られてきた。パラパラっと見たところ、日本近代文学史の盲点を突く著作だと思ったので、編集者にもそう伝えた。

 しかし腰を据えて最初から読んでいくと、明治期娯楽小説という、国会図書館デジタルで読めるものを読み倒して紹介している本だが、著者が「狂っている」とか「おかしい」がゆえに「面白い」と繰り返しているのが、どうもだんだん、私の中では「単にくだらない」に変わっていって、途中から「面白い」と言われると白けるようになってしまい、やはり忘れられるだけのことはあったんだな、と思うようになってしまった。著者は当時の時代背景などよく知っているようで、正体不明だがまあ日本近代文学の研究をしてきた人であろう。売れているようだし、まあいいのではないか。

 あと引っかかったのが、当時は人気があったかのように書かれており、立川文庫などはそうだろうが、それ以外については売れたというデータがあまりない。続編が出ているから人気があったのだろう、とは分かるが、当時読んだ人の感想などもない。一般大衆が読んでいたから、でもあろうが。人気があったのだろうか。

 

 

 

 

映画「ドリトル先生不思議な旅」について

 うちでは夫婦して映画「ドリトル先生不思議な旅」(リチャード・フライシャー監督)のファンである。しかし私はもっぱら、NHKで放送されていた宝田明が吹替したもののファンである。原典ではレックス・ハリソンは歌のところではほとんど歌っていないのだが、宝田はちゃんと歌っている。

そして私はNHK吹替版を録画しておいたのだが、2007年に掛けようとしたらブチっとテープが切れてしまった。修理に出せばよかったのに、市販されているDVDに同じものが入っていると思い込んで捨ててしまったのは痛恨の極みである。

だが1977年に放送された際、吹替の音楽部分を録音しておいたのが残っていたため最近you tube にあげておいた。

ところでサーカス団にいたアザラシのソフィーが、北極海にいる夫を恋しがって病気になっているので、ドリトル先生が海へ帰すところは、原作『ドリトル先生のサーカス』にあるのだが、途中で、宿屋へ入っていった中年の男女二人組の女のほうの服をドリトル先生が盗んでソフィーに着せるところがある。これは原作にない。ソフィーを海へ放り込んだところを見られ、殺人の罪でドリトル先生は裁判にかけられるが、服を盗まれた女性はわけあって先生を訴えない、というところがある。どうやらこの二人、不倫カップルだったので訴えられなかった、ということを妻が発見した。

さらにこの映画のヒロインのエマ(サマンサ・エッガー)は、はじめ肉売りのマシューといい雰囲気で、マシューはエマと恋をささやいたあと有頂天になって歌い踊るのだが、船で出航して島へたどり着いたところで、エマの恋の相手はなんとドリトル先生になっているのだ。

これは考えてみたら、67年の映画だから、同じレックス・ハリソンが主演した「マイ・フェア・レディ」(63)で若いフレディ(ジェレミー・ブレット、のちのシャーロック・ホームズ)が踊り狂うのにヘップバーンはハリソンにとられてしまうののパロディなんだろう。

「真田十勇士」声優の変更について

人形劇「真田十勇士」がNHKで放送されていた(1975-77)のは私の中学一、二年の時にあたるが、前番組「新八犬伝」の大ファンで漫画まで描いていた私は、75年の正月に、12チャンネルまでテレビの音声も入るソニーカセットデッキを買い、「新八犬伝」の最後の箇所と「真田十勇士」を録音した。といっても中学生で全部録音して保存する財力はないから、全部録音はしたが消してしまったのも多い。

 「真田十勇士」は、あまり視聴率が良くなかった。第一、暗かった。それで二年目に模様替えをした。ナレーションを酒井アナウンサーから熊倉一雄に変えて、低年齢層向けにしたが、声優もわりと変わった。一年目は松山省二が、主役の猿飛佐助、真田幸村柳生但馬守などを一人でやっていたが、松山がいなくなり、佐助は関根信昭、幸村は木下秀雄、但馬守は熊倉に代わる。名古屋章岸田森は全編通していろんな声をやった。三谷昇も一年目でやめ、服部半蔵八木光生に、由利鎌之助は木下に代わった。

 ところが今回録音を聴きなおしていて、松山省二が一年目の最後にもういなくなっていたことに気づいた。一年目の最後は、為三による江戸城焼き討ちと、柳生十兵衛真田昌幸を討つ逸話なのだが、この最後の逸話で、幸村の声がすでに木下秀雄に代わっていた。そしてこれらの逸話に佐助は不思議なくらい登場しない。何らかの理由で松山が早期交代し、幸村は木下になったが佐助の声の代わりの決定が遅れたのではないだろうか。

 三好清海は佐助を好きな夢影に片思いしていたのだが、二人とも声が河内桃子なので、清海と夢影の会話はなかなか大変だった。のち「プリンプリン物語」で、ボンボンの声の神谷明が、アクタ共和国の独裁者ルチ将軍の声もやっていて、二人で言い合う場面があり、オサゲ(はせさん治)が、「ちょっとちょっと、あんたらが言い合ってるとややこしい」と介入する楽屋落ちもあった。

 

凍雲篩雪(最終回)

凍雲篩雪(86)人類の敵、退屈

 一昨年、実家を売ったのだが、最近ストリートビューで見たら、もう新しい家が建っていた。実家といっても、高校三年生の時から住んでいただけだが、それにしても感慨はないではない。草っ原だったところに建った新興住宅地だったが、建売ではない。二階の私の部屋が、当初弟と二人部屋の八畳だったのは、いかにも無茶な話で、ほどなく丸ごと私の部屋になり、脇に父の仕事部屋として作られた四畳半が弟の部屋になり、脇に小部屋をつけたして仕事部屋にした。子供はいつまでも子供だと思っていたのだろうか。
 土地や建物は、そこに誰かがいるとか、誰かと一緒に行ったとかいうことで懐かしさを感じるものらしい。あるいは人によってはそうではなく、私が特にそうなのか、ないしは私が土地の美しさとかに鈍感なせいなのか。
 大阪で五年間住んだのは、阪急石橋駅豊中の阪大の間のマンションだったが、その石橋駅が、石橋・阪大前駅に改称するというので、妙な感慨をまた催した。西口の商店街のほうは下町っぽくていいのだが、私のマンションや阪大は東側にあり、東口というのがまた飲み屋の多いゴミゴミした汚らしい界隈だった。
 大阪にいた当時はインターネットをやっていなかったし、仕事があるといってもまだそれほど多忙ではなく、だからあいた時間は実に寂しいものであった。新幹線に乗るのが怖いという病気になって、二年くらい実家に帰らなかったこともあり、ある大晦日は、テレビで「ジュラシック・パーク」をやっているのを観ていたのを覚えている。だがまあ給料は結構もらっていたし、ある種のんきな日々でもあった。
 三年目くらいに、自分でパソコンのメール設定ができないし、当時はメールにしてもダイヤルアップだから、メールのついたワープロを買ってきて、フロッピーを出したり入れたりしながら、ピーガガーという音をたてつつ繋ぐと、「新しいメールは届いていません」とくるのが寂しかった。もっともたいていの通信手段は手紙か電話、ファックスである。
 最近ではメール添付のPDFが使われるので、ファックスを使うこともほとんどなくなり、ファックス用のインクリボンも減らず、買い置きが埃をかぶっている。
 私がカナダへ留学したのは九○年で、もちろんメールはないから、実家の母とのやりとりは手紙だけである。今では考えられない話で、今の留学はよほど精神的には楽になってしまっているのではないか。
 ネット炎上というのがあるが、あれなど見ていると、ああみんな寂しいんだな、退屈なんだな、と思うのである。一たん、攻撃対象を見つけると寄ってたかって、であるが、
私はこういうモブ行動、みなで同じことをやって騒ぐのが好きではないから、ツイッターをやっていてもだいたい参加はしない。リベラル派とされる弁護士への大量懲戒請求事件が裁判になっているが、その「ネトウヨ」らが、平均年齢五十代と高齢だったことから見ても、ネット上で騒ぐ人は思われているより高齢で、寂しい人なのではないかと思える。
 人類はいろいろな問題を解決してきたが、恐らく最後まで解決できないのが「退屈」だと私は書いたことがある。「パンとサーカス」といって、為政者はサーカスという見世物で民衆の退屈を紛らすことになっている。今では娯楽もふんだんにあって、テレビではお笑い、ドラマ、あるいは映画、演劇、テーマパークなどがあるが、高齢になると外出も難しくなる。そんな時、ネットで誰かを攻撃するというのが最大の娯楽になってしまう。これは、攻撃されるのが右翼だろうが左翼だろうがリベラルだろうが保守派だろうが、セクハラだろうが何でもいいのである。私はそういう多数での攻撃には、加わらないことにしている。別に努力してそうしているのではなく、天邪鬼な性分に過ぎない。みながしている、と思うと、加わるのが嫌になるだけである。退屈していないわけではない。テレビなどでは解消できない寂しさというのは理解できるが、大勢で一人の人を叩いたりするのが、高校時代の教師いじめなどを思い出させて嫌なのだろうか。
 ツイッターでは、世界中の正義を一人で背負っているみたいな文章を書く人がいる。だいたいリベラル派的なもので、書きながら涙でも流しているんじゃないかというくらいの調子の高さとこっ恥ずかしさで、もちろん、新味はない。こういうのを見ると、そっとその人をミュートしたりするものだ。その昔、笹川良一がテレビCMで「人類はみな兄弟」とかやっていた、それを思い出してしまう。
 私は埼玉県越谷市で育ったが、両親が死んでその土地建物を売り、越谷に帰る場所はなくなった。その越谷市図書館に「野口冨士男文庫」があって、小冊子を送ってくれる。三月に出た「21」には、平山周吉と佐藤洋二郎の講演速記録が載っているが、佐藤の講演は売れない私小説作家のことを話していて心に沁みた。こんな箇所がある。「僕は人生においてあまり幸福ってないと思うんです。幸福とか平和とか、民主主義とか。こういうあいまいな言葉は願望の言葉ですから、本当はそれに近づけなければいけないのに、言葉を利用する。きれいな言葉の裏側に潜って、自分までよく見せようとする。言葉をそういう武器に使ってはいけないと思いますね。」
私もまあ、だいたいそんな風に感じはするのだが、正義の大言壮語は、何だか中途半端な大学の学生のレポートのようにも見える。リベラル派は、ものごとにはいくつもの面があり、人によってものごとの意味は変わるというようなことを言いながら、「敵」と認定した者の行いについては、その多面性はまったく認めないという二重基準を持っていることが少なくない。
 私も三、四年前まではブログやツイッターでずいぶん激しい論争をしたりしたが、最近はあまりやらなくなった。まあ相手をしても無駄だという見極めが早くなったので、時には即時ブロックすることもあるし、少しやりとりして、ああこれは言っても無駄だなと思うようになったからである。
 議論というのは、この手を指せば相手はこうくる、ということが将棋のように見えてしまうもので、小説や映画のよしあしはまた別なのだが、そこでもさほど実のある議論にはならない。しかし、そういう数手先が見えない人もいるし、人々は退屈しているから、毎日のようにネットで侃々諤々の議論をし、相手をへこませようと躍起になっている。人類はあと数万年か数百万年存続するだろうが、この問題だけは最後まで解決しないのだろうか。「人間の不幸は、自分の部屋に一人でじっとしていられないことにある」というパスカルの言は正しい。