凍雲篩雪(最終回)

凍雲篩雪(86)人類の敵、退屈

 一昨年、実家を売ったのだが、最近ストリートビューで見たら、もう新しい家が建っていた。実家といっても、高校三年生の時から住んでいただけだが、それにしても感慨はないではない。草っ原だったところに建った新興住宅地だったが、建売ではない。二階の私の部屋が、当初弟と二人部屋の八畳だったのは、いかにも無茶な話で、ほどなく丸ごと私の部屋になり、脇に父の仕事部屋として作られた四畳半が弟の部屋になり、脇に小部屋をつけたして仕事部屋にした。子供はいつまでも子供だと思っていたのだろうか。
 土地や建物は、そこに誰かがいるとか、誰かと一緒に行ったとかいうことで懐かしさを感じるものらしい。あるいは人によってはそうではなく、私が特にそうなのか、ないしは私が土地の美しさとかに鈍感なせいなのか。
 大阪で五年間住んだのは、阪急石橋駅豊中の阪大の間のマンションだったが、その石橋駅が、石橋・阪大前駅に改称するというので、妙な感慨をまた催した。西口の商店街のほうは下町っぽくていいのだが、私のマンションや阪大は東側にあり、東口というのがまた飲み屋の多いゴミゴミした汚らしい界隈だった。
 大阪にいた当時はインターネットをやっていなかったし、仕事があるといってもまだそれほど多忙ではなく、だからあいた時間は実に寂しいものであった。新幹線に乗るのが怖いという病気になって、二年くらい実家に帰らなかったこともあり、ある大晦日は、テレビで「ジュラシック・パーク」をやっているのを観ていたのを覚えている。だがまあ給料は結構もらっていたし、ある種のんきな日々でもあった。
 三年目くらいに、自分でパソコンのメール設定ができないし、当時はメールにしてもダイヤルアップだから、メールのついたワープロを買ってきて、フロッピーを出したり入れたりしながら、ピーガガーという音をたてつつ繋ぐと、「新しいメールは届いていません」とくるのが寂しかった。もっともたいていの通信手段は手紙か電話、ファックスである。
 最近ではメール添付のPDFが使われるので、ファックスを使うこともほとんどなくなり、ファックス用のインクリボンも減らず、買い置きが埃をかぶっている。
 私がカナダへ留学したのは九○年で、もちろんメールはないから、実家の母とのやりとりは手紙だけである。今では考えられない話で、今の留学はよほど精神的には楽になってしまっているのではないか。
 ネット炎上というのがあるが、あれなど見ていると、ああみんな寂しいんだな、退屈なんだな、と思うのである。一たん、攻撃対象を見つけると寄ってたかって、であるが、
私はこういうモブ行動、みなで同じことをやって騒ぐのが好きではないから、ツイッターをやっていてもだいたい参加はしない。リベラル派とされる弁護士への大量懲戒請求事件が裁判になっているが、その「ネトウヨ」らが、平均年齢五十代と高齢だったことから見ても、ネット上で騒ぐ人は思われているより高齢で、寂しい人なのではないかと思える。
 人類はいろいろな問題を解決してきたが、恐らく最後まで解決できないのが「退屈」だと私は書いたことがある。「パンとサーカス」といって、為政者はサーカスという見世物で民衆の退屈を紛らすことになっている。今では娯楽もふんだんにあって、テレビではお笑い、ドラマ、あるいは映画、演劇、テーマパークなどがあるが、高齢になると外出も難しくなる。そんな時、ネットで誰かを攻撃するというのが最大の娯楽になってしまう。これは、攻撃されるのが右翼だろうが左翼だろうがリベラルだろうが保守派だろうが、セクハラだろうが何でもいいのである。私はそういう多数での攻撃には、加わらないことにしている。別に努力してそうしているのではなく、天邪鬼な性分に過ぎない。みながしている、と思うと、加わるのが嫌になるだけである。退屈していないわけではない。テレビなどでは解消できない寂しさというのは理解できるが、大勢で一人の人を叩いたりするのが、高校時代の教師いじめなどを思い出させて嫌なのだろうか。
 ツイッターでは、世界中の正義を一人で背負っているみたいな文章を書く人がいる。だいたいリベラル派的なもので、書きながら涙でも流しているんじゃないかというくらいの調子の高さとこっ恥ずかしさで、もちろん、新味はない。こういうのを見ると、そっとその人をミュートしたりするものだ。その昔、笹川良一がテレビCMで「人類はみな兄弟」とかやっていた、それを思い出してしまう。
 私は埼玉県越谷市で育ったが、両親が死んでその土地建物を売り、越谷に帰る場所はなくなった。その越谷市図書館に「野口冨士男文庫」があって、小冊子を送ってくれる。三月に出た「21」には、平山周吉と佐藤洋二郎の講演速記録が載っているが、佐藤の講演は売れない私小説作家のことを話していて心に沁みた。こんな箇所がある。「僕は人生においてあまり幸福ってないと思うんです。幸福とか平和とか、民主主義とか。こういうあいまいな言葉は願望の言葉ですから、本当はそれに近づけなければいけないのに、言葉を利用する。きれいな言葉の裏側に潜って、自分までよく見せようとする。言葉をそういう武器に使ってはいけないと思いますね。」
私もまあ、だいたいそんな風に感じはするのだが、正義の大言壮語は、何だか中途半端な大学の学生のレポートのようにも見える。リベラル派は、ものごとにはいくつもの面があり、人によってものごとの意味は変わるというようなことを言いながら、「敵」と認定した者の行いについては、その多面性はまったく認めないという二重基準を持っていることが少なくない。
 私も三、四年前まではブログやツイッターでずいぶん激しい論争をしたりしたが、最近はあまりやらなくなった。まあ相手をしても無駄だという見極めが早くなったので、時には即時ブロックすることもあるし、少しやりとりして、ああこれは言っても無駄だなと思うようになったからである。
 議論というのは、この手を指せば相手はこうくる、ということが将棋のように見えてしまうもので、小説や映画のよしあしはまた別なのだが、そこでもさほど実のある議論にはならない。しかし、そういう数手先が見えない人もいるし、人々は退屈しているから、毎日のようにネットで侃々諤々の議論をし、相手をへこませようと躍起になっている。人類はあと数万年か数百万年存続するだろうが、この問題だけは最後まで解決しないのだろうか。「人間の不幸は、自分の部屋に一人でじっとしていられないことにある」というパスカルの言は正しい。

小・中・高校の校歌

 埼玉県越谷市立出羽小学校校歌

   緑は映えて空高く

   風さわやかに野を駆ける

   望み大きく 出羽の里

          心豊かに 育ちましょう

   出羽小学校のわたしたち

 

   元荒川や綾瀬川

   水は豊かに野を走る

   開け伸び行く 出羽の里

        強い体を鍛えましょう

  

   武蔵野線やバイパスは

   われらの未来へ続く道

   開け伸び行く 出羽の里

 

越谷市立富士中学校

   風さわやかに 富士山は

   今日も明るく 澄んでいる

   さあ ここにあなたとわたし 君と僕

   鍛えに鍛え 幸せのあしたを作る

   富士、富士、越谷富士中、われらが母校

   

   平和の天使 シラコバト

   今日も楽しく 歌ってる

   さあ ここにあなたとわたし 君と僕

   競いに競い 永遠の真理を学ぶ

   (くりかえし)

 

海城学園

  朝(あした)に仰ぐ 芙蓉峰

  玲瓏神秘 影高し

  夕(ゆうべ)に見やる 太平洋

  渺茫万里 果てもなし

 

 

松本清張「春の血」と「再春」

 

中野のお父さんは謎を解くか

中野のお父さんは謎を解くか

 

 

 

隠花の飾り (新潮文庫)

隠花の飾り (新潮文庫)

 

 

 

延命の負債 (角川文庫)

延命の負債 (角川文庫)

 

 

北村薫さんが『オール読物』に連載している「中野のお父さん」シリーズの単行本二冊目『中野のお父さんは謎を解くか』をいただいた。これには北村さんお得意の文学史ネタが入っていて、泉鏡花徳田秋聲を火鉢を飛び越えて殴ったのは本当かというのも収められている。 知らなかった話もあった。松本清張の「再春」(1979)で、地方で小説を書いて新人賞を貰った人妻が、知人から聞いた話をもとに書いた「再春」を発表したら、トーマス・マンの「欺かれた女」と同じネタだと文藝評論家に論難される話である。
 実は清張自身が、1958年に書いた「春の血」でこれをやられており、「再春」の中には「春の血」がそのまま引用されている。
 ここまでは知られていた話だが、では誰がトーマス・マンの「剽窃」だと言ったのか、というところが北村さんの推理で、これは荒正人であった。
  なお「春の血」は、別に封印はされておらず、『延命の負債』(角川文庫)に入っている。だいたいマンの短編にしてからが、最後まで読まなくてもネタが割れる。

凍雲篩雪

凍雲篩雪(85)歴史学者の放言

一、年末から、hulu というところで配信しているトルコの大河ドラマオスマン帝国外伝」を延々と観ている。最初は二週間無料の間だけ観るつもりだったのだが、面白いというよりは妙にやめられなくなって有料になってからも観ている。
 十六世紀はじめのオスマン帝国(昔はオスマン・トルコといったものだが)のスレイマン大帝の治世を、後宮(ハーレム)での女の争いを中心に描いたもので、主人公はおそらく、スレイマンの即位前後にクリミア半島から連れてこられたルテニア人のアレクサンドラで、皇帝に寵愛されてヒュッレムの名をもらう。だが皇帝にはムスタファという第一皇子を産んだマヒデブランという妃がいて、ことごとにヒュッレムと争いを起こす。ほかに母后とその侍女、スレイマンの寵臣で小姓頭、三十歳ほどで大宰相に抜擢され、スレイマンの妹のハティジェとの悲恋も乗り越えて結婚するイブラヒム、女官長のニギャール、宦官長のスンビュル、宮廷史家のマトラークチュなどのレギュラーがいる。
 このヒュッレム、美人といえば美人なのだが、とうてい善人とは言いがたく、側女の中で親友だったマリアが皇帝に召されたと知るや彼女に暴力を振るい、のち謝罪としてクロテンの襟巻を渡すがそれには毒が塗ってあり顔が焼けただれるというすごい展開で、日本なら史実の主人公が悪人でもそのへんは隠蔽したり脚色したりするのだが、主役でこれだけ性格悪く描くというのはトルコの不思議さかもしれない。
 私は、女官長のニギャールを演じるフィリス・アフメトという女優が好きで、ニギャールは善人で、ヒュッレムにいろいろ忠告したりするため好きで観ていたのだが、そのニギャールも最近ではヒュッレム派と思われてマヒデブランの侍女に頭から袋をかぶせられて、ヒュッレム方につくと殺すとか言われたり、意趣返しにその侍女を襲撃したりして実に恐ろしいドラマである。このヒュッレムは、それまで奴隷身分だった妃の地位を向上させた改革者で、西欧ではロクサリーナの名で知られているらしい。
 しかし後宮内の話に終始するのではなく、ハンガリーへ侵攻してヨラシュ二世と戦ったり、ヴェネチア大使が出てきたりして、歴史の勉強にもなるので観ている。
 どうもこういう歴史大河ドラマというのは、日本のものをまねして諸外国でも始めたらしい。日本では小説・ドラマともに、目ぼしいネタがみな使い尽くされているから、まだ堀り尽くされていない、知られていない外国の歴史がドラマで観られるのはいいことである。
 簑輪諒という新人作家の『うつろ屋軍師』(祥伝社)というデビュー作を読んだ。織田信長の宿老だった丹羽長秀が、羽柴秀吉政権下で勢力を失い、その子長重が小大名に落とされつつじわじわとはいあがり徳川時代にも丹羽家が生き延びたという話を、丹羽家の家老・江口正吉を主人公として描いたもので、面白くはあったが、結局今後の歴史小説は、このようにそれまでの歴史小説に描かれなかったマイナーな人物を探し出して描くしかないのか、と困った気分になった。これなら、将来的には史実を放り込めばAIにも歴史小説が書けるということになってしまうだろう。しかし簑輪の『くせものの譜』(学研)という、御宿勘兵衛を描いた連作を読んだら、なんでこれで直木賞を受賞しないのかというほどの傑作で、この作家なら歴史小説の未来を切り開いてくれるのではないかとすら思ったのであった。
 ところで私はかねて、大河ドラマでも歴史小説でも学習歴史まんがでも、歴史を学ぶとば口になればいいと言っているが、歴史学者や高学歴層には、そういう考え方をバカにする傾向がある。百田尚樹の『日本国紀』をめぐるさして意味のない論争が起きて、日本史学者の呉座勇一が、百田に影響を与えたとされた井沢元彦の「逆説の日本史』に触れて、「作家のヨタ話」などと言いだしてしまったのもその一環だろう(言論プラットフォーム・アゴラ 『日本国紀』問題を考える―歴史学歴史小説のあいだ① 一月十七日)。しかし「作家」といっても、司馬遼太郎吉村昭のように、史料をよく読みこんでいる作家はいるわけだし、かつて三田村鳶魚が『大衆文芸評判記』(一九三三)で時代作家の考証のずさんさを論難して以後、吉川英治海音寺潮五郎、特に後者は、史料をよく読み歴史の勉強をするようになって、海音寺は大岡昇平に難癖をつけられて見事に論駁したこともあるので、そう「クソ味噌一緒」にされては困る。第一、井沢の原点は先ごろ没した梅原猛の『水底の歌』で、呉座はその梅原を初代所長・顧問としていた国際日本文化研究センター助教である。梅原に関しては、せめて『水底の歌』の間違いだけは認めてほしかったと私は思っている。梅原は歴史学からも国文学からも批判されつつ、一般読者やマスコミに人気があり、文化勲章まで受章した。学士院や藝術院に入れられなかったのは、これらアカデミーの見識だろう(ただ学士院の選び方がいいかどうか、私は疑問である)。
 呉座は井沢が歴史学者を批判した文章に反論している。井沢は、山本勘助の実在について歴史学者は否定的だったが、史料が出るとてのひらを返したように実在説になると論難しており、史料が出たら修正するのは当たり前だと呉座は言っている。これは呉座が正しいが、別に学者であっても筋の通らない議論をする者はいる。
 「作家」といえば、世間では売れる作家のことばかり考えるようだ。学術論文などは当然原稿料は出ないし、硬い学術書も売れるはずはなく、世間は作家のヨタ話ばかり読む、とひがむが、在野の作家の側では、学者は大学から給料をもらって売れる売れない関係なくやれるからいいよな、となる。しかし世間には売れない作家もいるし、定職につけずにいる学者もいる。以前、鈴木貞美が酒の席で社会学者・筒井清忠を内容には触れずに論難していたら、脇にいた女子大の図書館に勤める書誌学者が「作家だからいい加減なこと書いてるんじゃないの」と言い、鈴木が「康隆じゃなくて清忠」と訂正したことがある(実名を出したのは変名にすると誰だか詮索されるだけだからである)。こういう放言はやや迂闊な学者の世界にはあることであるが、呉座にはくれぐれもそういう十把一絡げな物言いはせず、是々非々で学問をやっていってほしい。
二、今回の芥川賞は、候補作に奇妙なものが多かった。受賞した上田岳弘や候補の高山羽根子は「SF」のようだし、鴻池瑠衣も未来的な現代を描いているようだった。しかしSFの手法を純文学に用いるというのは、筒井康隆が成功したくらいで、そのほかはただわけの分からないものが多い。ただしもっぱらSF好きの評論家などは高山などを評価しているが、世間では賛否両論である。もし今後の純文学界がこの方向へ行くのだとしたら、私はついていけないが、同時に純文学は本当に「現代音楽」の道をたどることになるのではないか、という気もする。

凍雲篩雪(84)

 

 

一、小澤英実さんから、訳書であるロクサーヌ・ゲイの『むずかしい女たち』(河出書房新社)という短編集を送ってもらって読んでいた。すると「完璧」という語が出てくるのにひっかかった。perfect の訳だろうが、「彼女は完璧な女の子だった」のように、アメリカ人はこのおおげさな言葉をよく使う。もっとも日本でも最近はある連続テレビドラマの「神回」とか「神対応」とか、おおげさな言い回しははやっている。文藝評論家まで「完璧な作品」などと言うが、小説作品に「完璧」などということはありえない。まあ言葉というのは変化するものだからやいやい言うこともないだろうが、英文を訳すときは、完璧は「すばらしい」程度にしたほうがいいのじゃないかと思った。
 その昔、バート・ランカスター主演で映画化されたジョン・チーヴァーの「泳ぐ人」は、私は英語で読んだのだが邦訳がないらしいので、機会があったら訳したいものだと思っていたら、村上春樹に訳されてしまった。といっても、一編だけ訳しても雑誌などに載せるには古い小説だから機縁がないし、村上はチーヴァーのほかの短編も訳したので、私にはそれほどチーヴァーに入れ込むつもりはないから、仕方がない。
 翻訳したいというより、誰か訳してくれないかと思っているのが、メアリー・マッカーシー出世作ブルックス・ブラザースのシャツを着た男」(一九四二)という短編である。これはニューディール時代、シカゴを通って西部へ向かう汽車のコンパートメントで二人きりになった男と女の話で、いずれも中産階級、男には妻と二人の子供がおり、女は二十三か四歳で、これから再婚するところ、という設定。男は当時話題だったヴィンセント・シーアンの『パーソナル・ヒストリー』(一九三五)を読んでおり、男女は会話を交わすようになるが、それがいかにも知的スノッブ風で、女のほうは左翼で、大統領選では社会党のノーマン・トマスに投票すると言う。意気投合した二人は個室内で酒を飲み、酔ってセックスしてしまう。この小説は一九九〇年にテレビドラマ「ウィメン・アンド・メン 誘惑」という全三話のうちの一つとして映像化されており、メラニー・グリフィスが女のほうを演じていたのだが、当時すでに三十三歳で、あまり美しくも見えなかった。
 男の姓はブリーンとなっているが、女のほうは分からない。二人は別れて女はニューヨークへ帰り、ブリーンと何度か密会するが、婚約を破棄したことは男には言わなかった。そのうち男の気持ちが冷えていき、女の父親が死んだとき、男は弔電を送ってきた。女はそれを破いて捨てた。誰かに見られたら大変だと思ったからである。
 マッカーシーは当時夫だったエドマンド・ウィルソンに勧められてこれを書いたというが、衝撃をもって受け止められたというのはこれが実体験に基づくと思われたからか、単に地位のある父親を持つ中産階級若い女の性行動を描いたからか、よくわからない。日本ではマッカーシーの紹介がどうもおかしくて、名作『グループ』は昔の小笠原豊樹訳で十分とはいえるのだが今では品切れのままで、そこへ政治的教条主義が強くてあまりよくない『アメリカの鳥』がすでに翻訳があるのに二〇〇九年に新訳で出たりして、私は書評でその選択を批判したものだが、「ブルックス・ブラザースを着た男」が入っている短編集も訳してほしいものだ。
二、二〇一八年の大河ドラマ西郷どん」は、歴史をいたるところで歪曲し、戦争の好きな西郷を美化して、西郷の敵に回った人間はやはり事実と異なる描き方をして悪人に見せかけるひどいドラマだった。被害者となったのは井伊直弼徳川慶喜大久保利通らである。信長や秀吉の時代と違い、近代日本に直結しているだけにタチが悪い。「翔ぶが如く」(一九九〇)の時は、西郷と大久保二人主役だったから、こんなにひどくはない、いやむしろこれは大河ドラマではいいほうに属する。私も西郷美化に抵抗する新書を書いたが、売れなかったし、概して西郷美化の方向の本のほうが売れたのは憂うべきことだ。
 さて、暇つぶしに一九七四年の大河ドラマ勝海舟」の総集編を観たのだが、脚本といいキャスティングといい、今よりずっと良質に感じられた。とはいえ、佐々木譲の『武揚伝』で、勝海舟の実像を知ってしまうと、観方も変わってくるが、おっと思ったのは、ペリー来航後、幕府が諸大名に意見を求めたところで、海舟が、これまで幕府独断でやってきたのが、意見を求めるようになった、と言い、それが大変革のように言う場面である。幕府は吉宗将軍時代に目安箱を設けて、広く庶民からも意見を求めているし、徳川時代を通じて、しかるべき建白書は上程されてきたのである。そのことは高槻泰郎『大坂堂島米市場』(講談社現代新書、二〇一八)に詳しく書かれている。これまで、林子平渡辺崋山高野長英の処罰によって、幕府は他からの意見を禁じているように思われてきた節があり、さまざま訂正されてはいるが、子平の場合は、すでに工藤平助が『赤蝦夷風説考』を幕府に建白しており、子平はその手続きを踏まずに『海国兵談』を印刷したことが忌諱に触れたのである。崋山と長英は、モリソン号事件での対応を批判したことが問題だったのである。
明治政府の宣伝のため、幕府の実態は悪く伝えられてき、最近その見直しが進んでいるが、『大阪堂島米市場』は、一八年の著作としてはピカ一と言うべきもので、こうした研究は以前から経済史の世界では行われており、著者はそれを紹介しただけだと言っているが、六年かけたというその書きぶりは、現代の先物取引デリバティブにも触れて面白く、なぜサントリー学芸賞をとらなかったかと不思議に思う。私はおかしな話だがこの本を読んで、東証株価指数とかTOPIXとかいうのがどういうものか初めて分かった。もっとも、著者の師匠の森平爽一郎によると、三十五歳までに勉強しないとデリバティブは理解できない、というジョークがあるというから、私はもう無理だ。
 実際に米に替えることができない架空取引が徳川時代に行われており、その終値を知らせるために普通の飛脚とは違う米飛脚が使われたとか、さらには手旗信号という、十九世紀のフランスで使われた腕木通信のようなものもあり(これは『モンテ・クリスト伯』に出てくる)、伝書鳩も使われたとか、読み応え十分で、しかも著者は「本書は通信業者養成のための本ではないので」詳しくは延べないが、などといったサラリとしたジョークも小気味いい。
 徳川時代の経済については、直木賞をとった佐藤雅美がかつて書いていたが、その佐藤の直木賞受賞作『恵比寿屋喜兵衛手控え』も、公事宿というものを私が知らなかったせいもあり、大変面白かった。もし『応仁の乱』ではなく『大阪堂島米市場』がベストセラーになったとしたら、昨今の読者もなかなか捨てたものではない、と思ったであろう。