漫画探してます

 小学一年(1969)のころ、週刊誌か月刊誌か分からないがマンガ雑誌で読んだ連載漫画を探している。その一回分しか読んでいないのだが、時代もので、海ぞいの牢にいる二人の男が脱獄を考えている。主人公はもう一人の男から、仮死状態になる薬をもらう。死体を屋外に放り出されたら助かるのだが、棺桶に入れられて埋められたら万事休すだ、ということになっている。
 だが実際は埋葬されてしまい、目ざめた主人公が「ああっ、棺桶の中だ!」と叫ぶところで次回へ続くになっている。国会図書館であたりをつけて探したのだが見つからない。誰か知りませんか。

行司一覧

(生年)
1919年 24代式守伊之助(朝日山)(1977-84)

1924年 式守勘太夫(伊勢ケ浜)木村栄之助(伊勢の海)没
1925年 23代伊之助(74-)→27代木村庄之助(77-90)(立浪)
    式守与太夫(立)没、式守伊三郎時津風
1926年 式守錦之助(伊勢ケ浜)
1927年 木村庄二郎(春日野)→26代伊之助(91-92)
1928年 木村庄太郎→27代伊之助(92-)式守錦太夫→25代伊之助(84)→28代庄之助(91-93)木村玉光(花籠)

1935年 木村善之輔(春日野)→29代伊之助(94-00)
1936年 式守慎之助(二所ノ関)→錦太夫→28代伊之助(94)→29代庄之助(−01)
   式守与之吉(井筒)→勘太夫→30代伊之助(2000-01)
1938年 木村林之助(出羽)→容堂→31代伊之助(2001-)→30代庄之助(-03)
1940年 木村忠雄(二所)→式守慎之助→錦太夫木村庄三郎(立浪)→32代伊之助(2001-)→31代庄之助(03-05)
1941年 木村孔一(春日野)→一童、木村咸喬(出羽)→35代伊之助(2003-)→32代庄之助(05-06)、木村光彦(二子山)→光之助→34代伊之助(05-06)
1942年 式守太一郎(伊勢ケ浜)→與之吉→勘太夫木村朝之助高砂)→35代伊之助→33代庄之助(-07)
1943年 式守勝治(伊勢海)→与太夫→36代伊之助→34代庄之助(-08)

1946年 木村城之介(立浪)→37代伊之助→35代庄之助(-11)
1948年 式守敏広(井筒)→與之吉→勘太夫→35代伊之助→36代庄之助(-13)
1950年 木村信孝(放駒)→玉光、木村玉治郎(立浪)→庄三郎→39代伊之助→37代庄之助(-15)

1959年 木村吉之輔(宮城野)→式守錦太夫→40代伊之助(-18)、木村和一郎(高田川)→式守勘太夫
1960年 木村雅之助(立浪)→玉治郎
1961年 木村恵之助(九重)→容堂

1963年 木村春夫(春日野)→善之輔→庄太郎
1965年 木村晃之助(九重)
1967年 木村寿之介(友綱
1968年 式守錦之助(伊勢浜)→與太夫春日山)→与之吉、木村元基(湊)
1970年 木村秋治郎(三保ヶ関→春日野)
1972年 木村朝之助高砂
1973年 式守慎之助(二所)木村行宏(玉ノ井)
1974年 木村堅治郎(峰崎)式守鬼一郎(追手風)
1975年 木村要之助(東関)木村光之助(峰崎)
1976年 式守玉三郎片男波)木村隆男(鳴戸
1977年 木村勘九郎(山響)木村千鷲(出羽)
1978年 木村将二(春日野)

凍雲篩雪

凍雲篩雪(77)ムーミンの謎

一、室生犀星の『青い猿』という中編小説がある。昭和六年に「都新聞」に連載され、単行本になったが、戦後の犀星全集には入っていない。国会図書館デジタルで読める。芥川龍之介を描いたもののようだが、読んでいくと芥川が二人いるようなのだ。はじめに登場する松平隼太という詩人は、ハル子という妻がありながら、篠崎礼子という人妻の愛人がいて、これに悩まされている。これは秀しげ子だろう。ところがあとになると、秋川龍之という作家も出て来て、これが最後に自殺する。するとこちらも芥川なのだ。二瓶浩明の「『青い猿』論 室生犀星芥川龍之介」(『室生犀星研究』二〇〇六)という論文があり、これ以外にこの作品を扱った論文は見つからないのだが、二瓶は、松平は犀星自身であり、「室生犀星は秀しげ子を、秋川=芥川ではなく、松平=犀星と関係のあった女として、デタラメの物語を作り上げようとしている。おそらくは親友芥川龍之介を醜聞から守ろうとして」と言うのだが、松平が犀星だとする根拠が分からない。松平のもとには「旗」という文学青年が訪れてくるが、これは堀辰雄だし、どこから見ても芥川なのである。もう一人、芥川の思い人である片山広子松村みね子)は、秋村みね子として登場するし、あと織本貞一という詩人も登場し、これは萩原朔太郎だとされている。もっとも、ダンスをし、妻を離婚しようと考えているから、谷崎潤一郎のように思えるのだが、上州出身で、美しい妹たちがいるというから朔太郎だろう。明らかに失敗作で、何とも厄介な作品である。
二、センター試験に「ムーミン」が出題されて、ムーミン谷はフィンランドにあるか、空想の世界だから実在しないとか議論になっていたが、どうもこの「ムーミン」というのは変である。一般にはトーヴェ・ヤンソンが作ったキャラクターだが、全十冊の小説があり、トーヴェの弟ラルスが描いた漫画もあり、日本で作られたアニメもあって、それぞれ肌合いが違う。小説は最初の『たのしいムーミン一家』は児童文学なのに、あとの『ムーミン谷の仲間たち』や『ムーミン谷の冬』『ムーミンパパの思い出』となると純文学風になって、私など子供の頃、題名から『ムーミン谷の仲間たち』の箱入り本を買ってきて、読んでたまげたことがある。マンガもその当時一部訳されており、これは英訳からの重訳だったようだが、皮肉な風刺漫画だから子供には意味が分からなかった。のち冨原真弓が全巻を訳したのも全部読んだが、そう面白くはなかった。それに対して二回にわたって作られたアニメは児童向けの教育的ファンタジーで、ヤンソンは認めていないとも言うし、私も当時観ていて、最後に高木均が声をあてるムーミンパパの説教で終わることが多いので何だか嫌いだった。
 マンガ版ムーミンは、放送が始まる前に小学校三年生くらいだった私が『あぶない!ムーミン』というのを買ってもらって読んだが、大人向けのナンセンスや楽屋落ちギャグが多く、理解に苦しんで、五年生くらいの時にわけが分からないところに鉛筆で突っ込みを書き入れたくらいだが、あとで高校生くらいになって見直して、それらがみなギャグであったことが分かったというしろものだった。ムーミン一家が悪者にしばられていても、ママが「きっと何かが起こって私たちを助けてくれるわいつものように」と物語のお約束に触れたり、スナフキンが訪ねてきたのを、強盗だと思い、ムーミンが、声はスナフキンだよ、と言うと、強盗がスナフキンに言わせているんだ、なんて悪いやつだと猟銃を向けてドアを開けさせるとか、子供には理解しづらいものがあった。
 しかしムーミンを知っていると役に立つこともあって、「ムーミンパパは孤児院で育ったんだよ」などと女子に話すとわりあい受けたりする。そのために、ムーミンというのは知識をひけらかすためのコンテンツになる部面もあり、スナフキンは英訳で本当はスヌヌフムムリクだとか、ニョロニョロはハッティフナットだとか、マンガは読んだかとかいろいろ言えるのである。つまり「酢豆腐」的な世界になる局面もあって、キャラクター産業としては大成功したものなのだが、そのためにフィンランドか架空の国かなどという議論が起きたのは、これは必然だったと言えるだろう。
三、文學界新人賞が受賞作なしで、選考委員たちが厳しい選評を書いたことが話題になっている。もっとも私ら一般人は最終候補作を読むことはできない。だから私などは、最終候補決定までの間に、けっこういい作品が落とされてきたのではないかと思う。中で選考委員の円城塔が、最終候補作が「文藝雑誌向け」にチューニングされていることを批判して、そういう文藝雑誌向けの小説は今では文藝雑誌には載っていない、と書いている。これに納得している人もいるようだが、文章は達者だが筋がない、退屈だ、という意味であれば、芥川賞をとった「影裏」などは円城が褒めたものだし、「生きていない者」もある。いったい円城にとっての「文藝雑誌向け」だが実際には文藝誌には載っていない小説というのはどういうものなのか、気になった。円城は「影裏」の受賞の時も、小説でここまでプライバシーが守れるのか、などとすぐに意味のとれない選評を書いていた。
四、西部邁が他人の手を借りて自殺したことが分かり、手助けしたテレビ番組関係者二人が自殺幇助で逮捕された。ところで西部の、自殺が最上の死に方だという意見は昔からのことだが、一度、座談会でそれについて西尾幹二から、自分の死に方まで決めようというのは傲慢だ、と言われたことがある。私は別に傲慢だとは思わないが、果して傲慢というのは内面に存在するものか、という妙なことが気になっている。態度が傲慢だとか尊大だとかいうことはむろんあるが、そういう人の内面もまた傲慢だとは限らないだろう。傲慢で尊大な態度をとらなければ守れない弱い自我を抱えている人もいるだろうし、単に地位や勢力を頼りにして思いあがっていることもある。私には、内面がそのまま傲慢である、というようなことはないような気がするし、西部の考え方も、「傲慢」とは思わない。実際世の中には、豊臣秀吉竹下登のように、腰を低くして覇権を握る人もいるし、尊大な態度をとるから悪いやつ、ということもない。
五、吉村昭の実録小説を読んでいる。『羆嵐』『破獄』『漂流』『破船』『桜田門外ノ変』『アメリカ彦蔵』と読んで、いずれももちろん面白かった。『破船』は、実際にありえただろう村を想像で描いたものだろう。『羆嵐』と『破獄』は、中心となる人物を変名にして描いている。小説であり、セリフなどは想像で書いたからということだろうが、歴史小説となると実名で書かれる。『アメリカ彦蔵』がそうで、これはジョゼフ・ヒコを、徳川家康織田信長のような歴史上の人物と見て書いたからだろう。『アメリカ彦蔵』は、『アメリカ彦蔵自伝』という根本史料があるが、ほかの漂流民たちについていろいろ調べたことがあとがきで分かる。しかし、調査経緯が書いていないので、研究者はこのままでは利用できない。ちゃんと調べる歴史小説にはままあることで、私などもその類の歴史小説を書いた時は一応考証過程も書いてあるが、書いてないと歴史家が困るのではないか。まあそれは本人や協力者が考証随筆を書いておいてくれればいいことではあるが。

新刊です

忘れられたベストセラー作家

忘れられたベストセラー作家

訂正
41p 「惨風悲話」→「悲雨」
63p「こうおうしょうわ」→「しょうろ」
72p「『良人の自白』は岩波文庫にも入らず」→「昔入ったが最近は復刊もせず」
85p『地上』を自費出版→最初から新潮社で刊行
113p「かいえん」→「うみつばめ」
156p「釧路で漁業を」→「根室で居酒屋の皿洗い」
188p「マカロニほうれん草』→「マカロニほうれん荘
索引・綿谷りさ→綿矢りさ

凍雲篩雪

凍雲篩雪(76)折口信夫の恐ろしさ

一、広島の原爆慰霊碑に「安らかにお眠りください、過ちは繰り返しませぬから」と彫られているのはよく知られている。この碑銘を書いたのは、真珠湾攻撃の報を聞いて快哉を叫んだ高校教師である。「過ちは繰り返さない」主体が誰なのか分からないということは以前から言われていたが、日本語だから主語なしで書けるのだとか、いわんや、だから日本人には主体性がないのだとか言うのは、言語学を知らない者のいう悪質なデマに近い。これは英語なら「we」を主語として書かれるだろうし、その場合も主語が誰なのかは分からないのである。
 阪本順治が監督した映画『エルネスト もう一人のチェ・ゲバラ』は、ゲバラ死去五十年を記念して作られたもので、日系二世ボリビア人のフレディ・マエムラオダギリジョーが演じている。フレディはゲバラとともにボリビアの白色政権と戦って死ぬのだが、その映画の冒頭、キューバ使節として来日したゲバラが、原爆慰霊碑に行き、この碑銘を通訳されて、字幕では「なぜ主語がないのだ? 原爆を落とさなくても戦争は終わらせられた」などと言っている。しかし、イスパニア語に通訳した際に、主語なしで通訳したのか、と疑念を抱いた私は、第二外国語イスパニア語だった妻に観てもらった。すると、「過ちは繰り返されないようにします」と受動態で訳されており、ゲバラは「なぜ主語がないのだ?」ではなく「誰が繰り返さないというのだ?」と言っているらしいことが分かった。もちろんゲバラは米国を批判したいのである。
 イタリア語でも主語が省かれることはあるが、動詞の形から主語は判別できる。だが英語などでも、we などを使えば明確な主語は曖昧にできるのだが、近頃こうした「日本語は主語がない。だから・・・」式のインチキ日本文化論がまたぞろ復活してきている。どうやらそういうことを言う者らは、十六万年前にアフリカで単一発生した人類の普遍性というのを認めたくないらしい。

二、北村薫の『いとま申して』シリーズが、『小萩のかんざし』をもって全三巻で完結した。作者の父・宮本演彦が、慶大で折口信夫に師事し、高校教員として沖縄の民俗学をやっていた、その若いころを日記から再現したものだが、つくづく思ったのは、折口信夫は恐ろしい人だということである。私は常々、「巨人」崇拝ばかりしている民俗学を批判しているが、折口となると、松浦寿輝が名著だと言う「古代研究」はまったく日本語の体をなしていない、ちんぷんかんぷんなものだが、北村著を読んで、そのからくりがだいたい分かった。これは一種の折口教であり、「古代研究」などはその根本経典なのである。しかも折口はコカイン(当時合法)をやっていたというから、ラリって書いているために何を言っているのか分からない。折口門下では、この「古代研究」を読めるように学生を指導(教導)するようで、わけが分からないだけありがたみが増すのだ。呉智英は、吉本隆明の文章は下手で分かりにくいからありがたみがある、と書いていたが、折口などはその系譜のさらに重鎮のほうだろう。
 第三巻では折口の人柄にも疑問符がつき、国文学・書誌学者の横山重が、折口による誹謗の犠牲となっている。北村は折口が悪いのかどうかぼかした書き方をしているが、これは折口を犯人として種明かしがない推理小説のようなもので、折口は横山を攻撃するために、明らかに根拠のない誹謗をこそこそとやっていたのだ。
 『かまくら春秋』の四月号に、折口の弟子の池田弥三郎の子の池田光澑が父の思い出を書いているが(下)、そこで、池田のノートをまとめた『折口信夫芸能史講義 戦後篇』を編纂して出版したが、「この本の刊行後、折口の専門家だと称している連中がこの本に触れた例はまずない。この著作を迂闊に論じたら、研究者として命取りになりかねないということくらいは、それらの連中にも分るのだろう」とあり、一方、「しかし、父の死後三十五年にして、折口の学問は、慶応の国文科から完全に姿を消してしまった。早すぎた評価が、早すぎた衰亡を招いてしまった可能性がある」とも書いている。慶應でなくなったなら、前に出てきた「折口の専門家」はよそにいるということだろうか。この界隈はまるで秘密結社のように部外者には意味不明な話が出てくる。
三、『新潮45』四月号に、上原善広が「うつ病「減薬」体験記」が載っていた。私も減薬はやっているので興味深く読んだが、向精神薬は、いっぺんにやめると激しい禁断症状が出るので、アシュトン・マニュアルのような、少しずつ減らす処方箋も出ている。だがアシュトンですら、長年服用した人には減らすのが早すぎるようだ。ところが世の中には『[断薬]のススメ』の内海聡のような、過激な断薬論者がいて、すぐに全部やめろというようなことを言う。上原もどこで聞いたのか、「だから抜くときは断薬施設などを使って一気に抜くのが理想なのだが、日本の現状では睡眠薬を含む精神薬を一気に抜く施設がない」などと書いている。しかし、海外にそんな施設があるとは聞いたことがない。あったらアシュトン・マニュアルが広まったりしないだろうし、もしや上原は、麻薬をやめる施設と混同しているのではないか。上原とは前にツイッターでやりとりしたので聞いてみようと思ったらいなくなっていた。
四、「共同研究」というものがある。桑原武夫らが京大人文科学研究所で戦後始めたものによって名高く、国際日本文化研究センターでもこの方式を踏襲している。さかのぼれば、フランス十八世紀の「百科全書」派などがそのさきがけで、桑原はこれをまねたのだろう。しかし、この方式は果たしてそれほどの成果をあげえるものだろうか。桑原の『ルソー研究』などが有名だが、これは皮肉な話で、共同研究をした百科全書派より、個人でやったルソーのほうが後世への影響は大きい。私自身、シンガポールでの『暗夜行路』会議などに出て、日文研の共同研究にも参加したことがあるが、どうも徒労感が残るばかりだった気がする。もちろん、そこで知らなかった研究者と知り合える、というのはいいが、研究そのものが、共同でやることで個人でやるより高い成果をあげたかというと、ほかの人がやったものを見ても、あまりそうは思えないのである。
 もともと、ちゃんとした研究者の研究は、他人の先行研究を参照したり、他の人の意見を聞いたりしてやるもので、一種の共同作業なのである。かえって、共同研究と銘打ち、学際的な研究などと言って、専門のばらばらな人を集めても、相乗効果は上がらないのではないかという気がする。 
五、本誌に中川隆介という人が「純文学は私小説で、純文学は嫌いだ」という意味のことを書いていたが、純文学は私小説だけではない。安部公房ジョイスも純文学だろう。嫌いだというのは仕方のないことだが、前提がおかしいのは困る。

百歳越え

四条貞子(1196-1302)
天海(1536-1643) 
三代目井上八千代(1838-1938)
平櫛田中(1872-1979)
物集高量(1879-1985)
東久邇稔彦(1887-1990)
川副博(1890-1993)
小島政二郎(1894-1994)
岡本文弥(1895-1996)
エルンスト・ユンガー(1895-1998)
小倉遊亀(1895-2000)
張学良(1901-2001)
ハンス・ゲオルク・ガダマー(1900-2002)
宋美齢(1897-2003)
レニ・リーフェンシュタール(1902-2003)
巴金(1904-2005)
片岡球子(1905-2008)
丹羽文雄(1906-2006)
大野一雄(1906-2010)
石井桃子(1907-2008)
吉行あぐり(1907-2015)
レヴィ・ストロース(1908-2009)
まどみちお(1909-2014)
日野原重明(1911-2017)
新藤兼人(1912-2012)
藤間生大(1913-2018)
篠田桃紅(1913-2021)
三笠宮崇仁(1915-2016)
ハーマン・ウォーク 1915-2019
佐藤進一(1916-2017)
木下忠司(1916-2018)
オリヴィア・デ・ハヴィランド 1916-2020
日高六郎(1917-2018)
吉沢久子(1917-2019)
橋本忍(1918-2018)
堀文子(1918-2019)
中曽根康弘 1918-2019
直木孝次郎(1919-2019)
源了圓 1920-2020
ジョージ・シュルツ(1920-2021)
三枝佐枝子 1920-2023
水田洋 1919-2023
野見山暁治 1920-2023
ヘンリー・キッシンジャー(1923-2023)
西尾孝 1916-
エドガール・モラン 1921-
室井摩耶子 1921-
岩崎京子 1922-
千玄室 1923-
佐藤愛子 1923-
村山富市 1924-